伝わるの人類史

第21章 SNS — 全員が発信者になり、アルゴリズムが編集長になった

この記事は連載「伝わるの人類史」(全27章)の一部です。目次を見る →

スマートフォンで配信を見ていると、画面の向こうの人が「〇〇さん、こんばんは」と自分のコメントを読み上げる。心臓が少し跳ねる。会ったことも、話したことも、握手したこともない相手なのに、その一瞬、たしかに「知り合い」になった気がする。翌日には、その人の新しい動画を待っている自分がいる。

ところが同じスマートフォンの、指一本ぶんスクロールした先には、見たくもない誰かの怒りが流れてくる。自分は何も選んでいないのに、なぜかそればかりが目に入る。SNSとは、この二つ——親密さと敵意——が同じガラス板の上で同時に起きる場所です。

全員が発信者になれる時代。これは「伝わる」の歴史から見ると、かなり奇妙な事態です。この連載で見てきたように、伝え方はもともと少数の人間だけが学ぶ専門技能でした。アテナイの法廷に立つ市民、教会の説教壇に立つ修道士、新聞社の編集長、放送局のアナウンサー。話す権利は、いつも場所とセットで配られていた。その場所が、いま全員のポケットに入っています。

ただし本章で見ていくのは、「まったく新しい何かが起きた」という話ではありません。むしろ逆です。SNSで起きていることの大半は、この連載がすでに通過してきた場所の再演です。1956年のテレビ研究、1960年代の説得心理学、19世紀の新聞、そして2400年前のエトス。新しいのは、規模と速度と、そこに一つだけ足された登場人物——アルゴリズムだけです。

1. 「知っている」という錯覚 — パラソーシャル関係の再発見

1956年、二人の社会学者ドナルド・ホートンとリチャード・ウォールが、精神医学の専門誌に短い論文を発表しました。タイトルは「マス・コミュニケーションとパラソーシャル相互作用」。彼らが観察したのは、当時まだ新参メディアだったテレビの、司会者と視聴者のあいだに生まれる奇妙な関係でした。

テレビの司会者はカメラをまっすぐ見て、視聴者に語りかけます。「今日はどうでした?」「またお会いしましょう」。もちろん返事は返ってこない。関係は完全に一方通行です。にもかかわらず、視聴者の側には、対面の会話とよく似た感覚が生まれる。相手の癖を知っている。機嫌がわかる。今日は少し疲れているな、と気づく。ホートンとウォールはこれをパラソーシャル関係(擬似社会的関係)と名づけました。

親密さの外見は、対面の関係を支配しているのと同じ規則によって作られている。ただしその関係は、一方の側にしか存在しない。

この概念は発表当時、やや冷ややかに扱われました。「テレビばかり見ている孤独な人の病理」という文脈で語られたからです。しかし1980年代以降の研究はそこを修正していきます。パラソーシャル関係は病理ではなく、人間関係を処理する脳の通常運転が、メディアという入力に対しても素直に作動しているだけだった——というのが現在の理解に近い。私たちは、繰り返し顔と声に接した相手を「知っている人」として処理してしまう。ただそれだけのことです。

なぜ配信の時代に復活したのか

70年前のテレビ研究の概念が、いまYouTuberや配信者やVTuberの研究で当たり前に使われています。復活した理由は単純で、当時の司会者がやっていた技術の一つひとつが、いまの配信ではさらに濃く実装されているからです。

カメラ目線。名前で呼びかけること。台本ではない言いよどみ。生活の断片の開示——机が散らかっている、猫が乱入する、風邪をひいている。そして決定的なのがコメントへのリアルタイム応答です。テレビでは不可能だった「返事」が、部分的にとはいえ実現した。関係は依然として非対称——向こうは何万人のうちの一人としてしか私を知らない——なのに、私の側の実感は、対面の友人関係にどんどん近づいていきます。

ここには冷静な留保も必要です。パラソーシャル関係は測定が難しく、多くの研究が自己申告の尺度に依存しています。「強い絆を感じている」と答えた人が本当に行動を変えるのか、それとも元から好意的だった人が好意的な回答をしているだけなのか。因果の方向を切り分けるのは容易ではありません。ただ、投げ銭、メンバーシップ、推奨商品の購入といった実際の支出行動が、この種の絆の指標と相関することは繰り返し報告されています。

これはエトスの、いちばん新しい姿である

第3章で見たアリストテレスは、説得の三要素の筆頭にエトス——語り手の人柄への信頼——を置きました。そして重要なのは、彼がエトスを「語り手がもともと持っている社会的地位」ではなく、語りのなかで作られるものと考えた点です。話し方によって、聞き手のなかに「この人は信頼できる」という像が組み立てられる。

配信者の親密さの演出は、まさにこれです。実績や肩書きではなく、日々の語りの積み重ねによってエトスが作られていく。しかもその作り方が、古典的な「見識・徳・好意」の三点セットと驚くほど対応している。専門知識を見せ(見識)、嘘をつかない姿勢を見せ(徳)、視聴者のことを気にかけていると示す(好意)。2400年前の教科書に書いてあるとおりの手順が、いま毎晩、何万本もの配信で実演されています。

違いは一点だけ。アリストテレスの時代、エトスは一回の演説のなかで作られました。いまのエトスは、数百時間の配信アーカイブという蓄積のなかで作られます。時間軸が伸びたぶん、崩れるときの落差も大きい。炎上とは、長い時間をかけて積み上げたエトスが、一つの出来事で反転する現象のことです。

パラソーシャル関係:1956年のテレビと、2020年代の配信同じ技法が、より濃く実装されているだけカメラ目線名前で呼ぶ日常の開示1956年テレビ司会者レンズを見て話す呼びかけは「みなさん」お便りを読む週に数通雑談・言いよどみ番組の合間に2020年代配信者常時レンズ正面距離は30センチ画面いっぱいの顔コメントを即読みその場で返事毎晩・数百件生活の実況失敗も見せる数百時間の蓄積関係は一方通行のまま。だが受け手の実感は「友人」に近づく=エトスの現代形
図1:パラソーシャル関係の技法は、テレビから配信へ濃度を上げて受け継がれた

2. アルゴリズムという、新しい編集長

第9章で見たように、19世紀の新聞には編集長がいました。何を一面に置き、何を三面に落とし、何を載せないか。その判断がそのまま「今日、社会が何を話題にするか」を決めていた。第14章で触れた議題設定研究が明らかにしたのは、メディアは「何を考えるか」までは決められないが、「何について考えるか」はかなりの程度決められる、ということでした。

SNSには編集長がいません。かわりにレコメンドアルゴリズムがいます。誰の投稿を上に出し、誰の投稿を沈めるか。この判断は人間の編集会議ではなく、目的関数——多くの場合は滞在時間やエンゲージメントの予測値——の最大化として実行されます。編集長の判断基準が「読者にとって重要か」だったのに対し、アルゴリズムの基準は「この人は反応するか」です。似ているようで、まるで違います。

古典レトリックに、六番目の部門が足された

第4章で見たキケロとクインティリアヌスの体系では、弁論の仕事は五つの部門に分けられていました。発想(何を言うか)、配列(どの順で言うか)、修辞(どう言うか)、記憶(どう覚えるか)、発表(どう演じるか)。2000年間、この五つで足りていました。理由は単純で、「誰に届くか」は場所が決めていたからです。広場に来た人、教会に来た人、新聞を買った人。到達は前提条件であって、設計の対象ではなかった。

SNSでは、到達そのものが設計の対象になりました。同じ内容、同じ言い回しでも、投稿時刻、最初の30分の反応、フォーマット、外部リンクの有無によって、届く人数が二桁変わる。これは修辞の問題ではなく、配信の問題です。古典の五部門に、「配信」——アルゴリズムに読まれるための設計という六番目が足された、と考えるとわかりやすい。

そして皮肉なことに、この六番目が他の五つを侵食します。「アルゴリズムに好かれる書き方」が「人間に伝わる書き方」と一致しない場面が出てくるからです。断定的に書くと伸びる。対立構図にすると伸びる。長い前置きは切られる。書き手はいつのまにか、読者ではなく分類器に向かって話しはじめる。この構造は、第23章でもう一度、別の形で現れます。

目的関数が価値を決める

ここで一つ、公平を期しておきます。「アルゴリズムが社会を分断している」という言い方は、しばしば雑に使われすぎています。レコメンドは中立でもなければ、単純な悪でもない。それは設計者が置いた目的関数の忠実な執行者であり、目的関数を変えれば挙動も変わります。実際、複数のプラットフォームが「有意義な社会的交流」や「時間の質」といった指標へ目的関数を寄せる調整を行い、そのたびに拡散の分布は変化してきました。

問題は、その目的関数が公開されておらず、外部から検証できないことのほうにあります。19世紀の編集長は少なくとも社名と顔を持ち、批判の宛先になれた。いまの編集長は宛先を持ちません。伝え方の倫理という観点では、これは第11章で見たバーネイズ的な「見えない統治」の、規模を桁違いにした版だと言えます。

3. エコーチェンバーとフィルターバブル — 通説と、その反論

SNSを語るとき、ほぼ必ず出てくる二つの言葉があります。エコーチェンバー(同じ意見が反響しあって増幅される閉じた空間)と、フィルターバブル(パーソナライズによって自分好みの情報だけに囲まれる状態)。前者は法学者キャス・サンスティーンが2000年前後から論じ、後者は活動家イーライ・パリサーが2011年の著書で広めました。

この二語はあまりに便利で、あまりに直感に合うため、いつのまにか「実証済みの事実」として扱われるようになりました。しかし研究の実際は、もう少し込み入っています。

データは「思ったほど閉じていない」と言う

2015年、バクシーらがSNS上の膨大な行動ログを解析した研究をサイエンス誌に発表しました。結論は、利用者が自分と反対の立場の情報に接する機会を減らしている主因は、アルゴリズムよりも利用者自身の選択である、というものでした。アルゴリズムの寄与はゼロではないが、誰を友人にするかとどれをクリックするかのほうが効いている。

2016年のフラックスマンらの研究は、検索やSNS経由のニュース接触が、伝統的メディアだけを見る場合よりイデオロギー的な多様性が高いという、直感に反する結果を報告しました。ネットは人を閉じ込めるどころか、望まない意見にぶつける機会を増やしている面がある。

さらに2023年、大規模プラットフォームと外部研究者が協働した一連の実験——数千人から数万人規模でフィードのアルゴリズムを実際に切り替える介入研究——が発表されました。時系列順フィードに変える、リシェアを止める、といった介入は、情報接触のパターンを大きく変えたにもかかわらず、政治的態度や分極の指標をほとんど動かさなかった。少なくとも数か月という観察期間では。

では、何も問題はないのか

ここで「だから心配は杞憂だった」と結論するのは早すぎます。研究者たち自身が挙げている留保が、いくつもあるからです。

  • 観察期間が短い。数か月の介入で動かないことは、10年で動かないことを意味しない。
  • 平均を見ている。全体平均が動かなくても、少数のヘビーユーザー層で大きく動いている可能性は消えない。実際、極端なコンテンツの消費はごく一部の利用者に強く偏っていることが繰り返し報告されている。
  • 測っているのは態度であって、規範ではない。「何を言ってよい場か」という感覚の変化は、態度尺度には出にくい。
  • プラットフォームごとに構造が違う。ある場での結果を別の場に一般化できない。

つまり現時点で言えるのは、「エコーチェンバーは素朴なイメージほど強固ではないが、無視できる大きさでもない」という、面白みのない結論です。そして伝え方の実務にとっては、この面白みのなさこそが重要です。「どうせ届かない相手」は、思っているほど多くない。届かないのは構造のせいというより、届く形になっていないせいであることのほうが、はるかに多いのです。

4. 怒りはなぜ速いのか — 道徳的感情の拡散

エコーチェンバーの効果が控えめだとしても、SNSの体感が「荒れている」ことは変わりません。その手ざわりを説明するのに、より確かな証拠があるのが感情の側です。

2017年、ウィリアム・ブレイディらは、政治的な話題を含む数十万件の投稿を解析し、道徳的感情を帯びた語(moral-emotional words)が一語増えるごとに、拡散がおよそ20パーセント上がるという関係を報告しました。「許せない」「恥ずべき」「裏切り」といった語です。単なる感情語でも、単なる道徳語でもなく、その両方の性質を持つ語が効く。

2021年のラスジェらの研究はもう一歩踏み込みます。何が拡散を最も強く予測するかを比べたところ、群を抜いていたのは外集団への言及——「あちら側」の人物や集団に触れること——でした。自分の側を称える投稿より、相手の側を非難する投稿のほうが、はるかに遠くまで飛ぶ。

ル・ボンが見ていたものの、計測版

第10章で見たギュスターヴ・ル・ボンは、群衆のなかで個人の理性が溶け、感情が伝染すると論じました。彼の議論は印象論的で、後の研究に厳しく批判もされましたが、観察していた現象そのものは消えていません。SNSで起きているのは、その伝染が計測可能になったということです。何がどれだけ伝染するかを、数値で言えるようになった。

これは第8章で見た感情設計の系譜が、産業規模に到達した姿でもあります。18世紀の美学者たちは「恐怖はなぜ快楽になるのか」を論じ、19世紀の新聞は「読者を釘付けにする見出し」を発明し、20世紀の広告は不安を商品に結びつけた。SNSはその延長線上で、パトスの単価を極限まで下げました。怒りを起こすのに、もはや編集部も予算もいりません。

ただし、ここにも留保がある

これらの研究の多くは観察データに基づくもので、因果の証明ではありません。怒りの語が拡散を生んだのか、拡散しやすい話題がたまたま怒りの語を伴っていたのかは、厳密には切り分けられていない。またプラットフォームによって結果は変わり、時期によっても変わります。分析対象がほぼ英語圏の政治的投稿に偏っているという指摘も重要です。

それでも実務的な含意ははっきりしています。怒りは、伝えたいことを運ばない。怒りが運ぶのは怒りだけです。拡散という指標だけを見ると、対立を煽る書き方が最適解に見える。しかし到達した人の頭に残るのは「誰が誰を叩いたか」であって、あなたの主張ではない。数字が上がることと、伝わることは、SNSにおいてかなりの頻度で別ものです。

何が拡散を押し上げるのか — 観察研究が示す傾向相関関係であり、因果の証明ではない点に注意外集団(あちら側)への言及最大級道徳的感情を含む語1語ごとに約20%増驚き・意外性中程度自分の側を称える表現小さい中立的な事実の記述伸びにくい怒りは速い。だが怒りが運ぶのは怒りだけで、あなたの主張ではない
図2:拡散されやすさの傾向。数字が上がることと伝わることは、しばしば別ものになる

5. ショート動画の文法 — 冒頭1秒という極限

SNSのもう一つの主役が、縦型のショート動画です。ここには、この連載で見てきた原理のうち、最も古いものの一つが極限まで濃縮されています。

最初の1秒は、初頭効果の最終形態

人は系列の最初と最後をよく覚える——初頭効果と新近効果は、記憶研究の最も頑健な知見の一つです。第4章のキケロが「冒頭は聞き手の好意を得るために使え」と書いたのも、第13章で見た情報理論以後の実験心理学がこれを数値化したのも、同じ現象を別の言葉で扱っています。

ショート動画のプラットフォームでは、この原理が残酷なほど直接的に効きます。視聴継続率のグラフは、最初の1〜2秒で最も急峻に落ちる。そこで離脱されればアルゴリズムは配信を止める。だから制作者は、動画の最も強い部分を冒頭に置き、結論を先に言い、疑問を先に投げる。「起承転結」は完全に解体され、「結・結・結・承」のような構造になります。

これは第7章で見た平明文体の運動と、方向としては同じです。17世紀の科学者たちが「装飾を削って要点から書け」と主張したのと、ショート動画が「前置きを削って結論から出せ」と要求するのは、同じ圧力の別の形です。違うのは、17世紀の圧力が真理への忠実さから来ていたのに対し、いまの圧力は指標から来ていることです。

テンプレート化という、中世の再来

もう一つ目につくのが、型の共有です。「〇〇な人の特徴3選」「知らないと損する〇〇」「〇〇してたら人生変わった」。同じ構造の動画が無数に作られ、同じ音源が使い回され、同じカット割りが踏襲される。

第5章で見た中世の書簡術(アルス・ディクタミニス)と説教術は、まさにこれでした。挨拶・導入・陳述・依頼・結び。型を覚えれば誰でも一定水準の文章が書ける。テンプレートは、書き手の平均点を上げるかわりに、天井を下げます。900年前に起きたことが、いま15秒の動画で起きている。

失われるもの

ただし代償があります。冒頭最適化と型の共有が進むと、文脈が落ちる。「なぜそう言えるのか」「どういう条件下で成り立つのか」という部分は、ほぼ確実に切られます。留保や例外は視聴継続率を下げるからです。

結果として、正しいが不完全な情報が、正確だが退屈な情報を駆逐する。これは第2章でプラトンがレトリックに向けた批判——快楽を与えるものが真実を語るものに勝つ——の、そのままの再演です。2400年前の告発が、いまだに有効であることの証拠でもあります。

6. 免疫をつくる — 接種理論からプレバンキングへ

では、誤った情報や操作的な説得に対して、私たちは何ができるのか。ここで、60年前の理論が丸ごと復活しています。

1961年、マクガイアのワクチン

社会心理学者ウィリアム・マクガイアは1960年代初頭、説得への抵抗力に関する一連の実験を行いました。着想は医学の予防接種でした。病原体を弱毒化して投与すると、体は抗体を作り、本物の感染に耐えられるようになる。同じことが、意見についてもできるのではないか。

実験は明快でした。ある信念に対して、まず弱い反論を見せ、それに対する再反論も一緒に与える。すると被験者は、後で強力な説得を受けたときに、その信念を保ちやすくなった。単に信念を補強する情報を与えるだけ(支持的防御)よりも、弱い攻撃を経験させるほう(接種的防御)が効いた。これが接種理論です。

興味深いのは、この理論がその後40年ほど、あまり応用されなかったことです。実験室では効くが、現実の説得環境で使う場面が見つからなかった。冷戦期の洗脳研究という出自も、応用を難しくしました。

2020年代の再接種

それが2010年代後半、誤情報研究の文脈で一気に呼び戻されます。事後に訂正する(デバンキング)よりも、事前に免疫をつける(プレバンキング)ほうが効率的ではないか、という発想です。

ルーゼンビークとファン・デル・リンデンらは、利用者が「偽情報を作る側」を体験するブラウザゲームを設計しました。感情を煽る、なりすまし、偽の専門家を立てる、陰謀論を組み立てる——操作の手口を自分でやってみる。その後、参加者は同種の手口を含む投稿を、より正確に見抜けるようになりました。

2022年には、短い解説動画を大規模なプラットフォーム上で実際に配信し、その直後の識別テストで効果を測る研究も報告されています。数百万人規模の配信でも、手口を事前に説明する動画に接した群のほうが、操作的な投稿を見抜く成績が上がった。

効果は本物だが、小さく、そして薄れる

ここでも留保が要ります。効果量は一般に小さめで、時間とともに減衰します。多くの研究が「ブースター」——追い接種——の必要性を指摘しています。また、識別テストの成績が上がることと、実際にSNS上で共有行動が変わることのあいだには、まだ距離があります。

それでも構造として面白いのは、私たちがいま、60年前に作られたワクチンを打ち直しているということです。第13章で見たように、「伝わる」の科学化は蓄積型で進んできました。棚に置かれたまま使われなかった知見が、環境が変わった瞬間に最適な道具として取り出される。これは連載を通じて何度も見てきた光景です。

接種理論の60年 — 棚に置かれ、取り出された道具19611970-20102016頃20202022マクガイア接種理論応用先が見つからない時期誤情報問題の顕在化手口体験型ゲーム研究大規模配信での動画実験効果量は小さめ・時間とともに減衰・追い接種が必要新しい脅威が来ると、私たちは60年前の道具箱を開け直す
図3:接種理論からプレバンキングへ。知見は消えず、環境が変わったときに取り出される

7. 三本の糸の現在地

糸①:エトス・パトス・ロゴスの輪廻

SNSは、三要素のバランスを大きく歪めました。ロゴス(論証)は文字数と時間の制約で削られ、パトス(感情)は拡散インセンティブによって増幅され、エトス(信頼)はパラソーシャル関係という形で肥大した。バランスが崩れているというより、エトスとパトスの二本足で立つようになったと言うほうが正確でしょう。

糸②:新メディアへの不安の反復

「SNSが社会を壊す」という言説の構造は、この連載で何度も見てきたものと同じです。プラトンは文字が記憶を殺すと言い、16世紀の識者は印刷が異端を撒くと言い、1930年代の知識人はラジオが群衆を狂わせると言い、1960年代の批評家はテレビが子どもを白痴化すると言った。そのすべてが、まったくの的外れではなく、また言われたとおりでもなかった。

SNSについても、おそらく同じことが起きます。実証研究が示すのは「言われるほどではないが、無ではない」という位置です。そして重要なのは、不安が的中しなかった場合でも、その不安が制度と作法を作ってきたということです。校閲、報道倫理、放送基準——すべて不安の産物でした。いま作られつつあるのは、SNS時代のそれです。

糸③:科学化の歩み

科学化という点では、SNSは前例のない実験室でもあります。第13章までの説得研究は、数百人の被験者と紙の質問紙で行われていました。いまは数百万件のログと、実際にアルゴリズムを切り替えるフィールド実験がある。ただし、そのデータの多くは企業が握っており、外部から再現できない。史上最も大量にデータがあり、史上最も再現性が担保されていないという、ねじれた状態にあります。

明日から使える3つの実装

実装1:肩書きより「回数」でエトスを作る

パラソーシャル関係の研究が示すのは、信頼が実績の総量ではなく接触の反復で作られるということです。月に一度の完璧な発信より、週に一度の平凡な発信のほうが、エトスの蓄積は速い。社内でも同じで、四半期に一度の立派な報告より、毎週の短い共有のほうが「この人は信頼できる」を作ります。まず頻度を決め、そのうえで質を上げる。順番を逆にしないこと。

実装2:怒りを使いたくなったら、いったん保存する

拡散指標だけを見れば、対立の構図を作るのが最も効率のよい書き方です。だからこそ、その誘惑が来たときは意識的に止める。実務上のルールとしては、「怒りを含む文章は書いてよいが、その日は投稿しない」で十分に機能します。翌朝読み返して、それでも必要だと思えば出す。ほとんどの場合、必要ではありません。伸ばしたいのが数字なのか理解なのかを、書く前に決めておくこと。

実装3:反論を先に、自分の口で言う

接種理論の実務版です。提案書でも記事でも、想定される最も強い反論を、相手に言われる前に自分で言う。そして、それに対する自分の答えを添える。「コストが高いという指摘はもっともです。ただし——」という一文があるだけで、聞き手はその後の反論に耐性を持ちます。第3章のアリストテレスが「反論の予期」を弁論の必須要素に挙げていたのと、まったく同じ技術です。

まとめ

SNSは、伝え方に新しい原理を持ち込みませんでした。持ち込んだのは、既存の原理を桁違いの規模で作動させる装置と、「配信」という六番目の部門です。パラソーシャル関係は1956年に発見されたエトスの一形態であり、怒りの拡散はル・ボンが見たものの計測版であり、ショート動画の冒頭1秒は初頭効果の極限であり、プレバンキングは1961年のワクチンの打ち直しです。

だからこそ、ここで学ぶべきは技術ではなく姿勢のほうです。エコーチェンバー論が示したように、私たちは自分の直感を、データの前で何度も修正しなければならない。怒りが速いという事実は、怒るべきだという処方箋ではない。指標が上がることと、伝わることは違う。

さて次章では、この構造をさらに根本から揺さぶる出来事を扱います。文章も、画像も、スライドも、誰でも一瞬で作れるようになったとき、「作れること」の価値はどうなるのか。第22章「言葉の限界費用ゼロ」では、グーテンベルクが起こしたことの反復として、生成AIの登場を読み直します。整った文章が無料になった世界で、何が信頼のシグナルとして残るのか。答えは、意外なほど古典的です。

主要参考文献

  • Horton, D. & Wohl, R. R. (1956) “Mass Communication and Para-Social Interaction: Observations on Intimacy at a Distance,” Psychiatry, 19(3).
  • McGuire, W. J. (1964) “Inducing Resistance to Persuasion: Some Contemporary Approaches,” Advances in Experimental Social Psychology, Vol.1.
  • Pariser, E. (2011) The Filter Bubble: What the Internet Is Hiding from You, Penguin Press.
  • Bakshy, E., Messing, S. & Adamic, L. A. (2015) “Exposure to ideologically diverse news and opinion on Facebook,” Science, 348(6239).
  • Flaxman, S., Goel, S. & Rao, J. M. (2016) “Filter Bubbles, Echo Chambers, and Online News Consumption,” Public Opinion Quarterly, 80(S1).
  • Brady, W. J. et al. (2017) “Emotion shapes the diffusion of moralized content in social networks,” PNAS, 114(28).
  • Rathje, S., Van Bavel, J. J. & van der Linden, S. (2021) “Out-group animosity drives engagement on social media,” PNAS, 118(26).
  • Roozenbeek, J. & van der Linden, S. (2019) “Fake news game confers psychological resistance against online misinformation,” Palgrave Communications, 5(65).
  • Roozenbeek, J. et al. (2022) “Psychological inoculation improves resilience against misinformation on social media,” Science Advances, 8(34).
  • Guess, A. M. et al. (2023) “How do social media feed algorithms affect attitudes and behavior in an election campaign?” Science, 381(6656).
  • Sunstein, C. R. (2017) #Republic: Divided Democracy in the Age of Social Media, Princeton University Press.

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この記事を書いた人

伸

村中 伸滋 伸滋Design 代表

「伝わる」を科学するプレゼンテーションデザイナー / 外部CSO。認知科学・行動経済学・神経科学の知見をコミュニケーション設計に応用し、経営層の戦略プレゼンから学会発表・研究費申請書まで支援。国際学術誌 ChemPhotoChem の表紙アート採用、大学学長の国際連携プレゼンテーション制作支援などの実績。

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