伝わるの人類史

第18章 レトリックの復権 — メタファーは飾りではなく、思考の骨格だった

この記事は連載「伝わるの人類史」(全27章)の一部です。目次を見る →

会議で「議論が白熱した」と言い、「予算を削った」と報告し、「時間を使った」と書く。これらの言い方に、私たちはほとんど注意を払いません。比喩だという意識すらないはずです。

しかし議論は物理的に温度を持ちませんし、予算は刃物で削れませんし、時間は消費財ではありません。日常の言葉は、気づかれないほど当たり前になった比喩で埋め尽くされています。

この事実に、1980年に出版された一冊の本が新しい意味を与えました。比喩は言葉の飾りではない。私たちが世界を理解する枠組みそのものである、と。それはプラトンがレトリックを追放してから約2300年後の、静かな、しかし決定的な反論でした。今回は、レトリックが認知科学と再会する過程を追います。

1. 1980年、レイコフとジョンソン — メタファーは思考の骨格である

ジョージ・レイコフはカリフォルニア大学バークレー校の言語学者、マーク・ジョンソンは哲学者でした。二人が1980年に出した『メタファーで生きる』(邦訳『レトリックと人生』)は、比喩に関する常識を根本から反転させます。

それまでの見方はこうでした。言語には文字通りの意味があり、それが本体である。比喩は、その本体を美しく飾るための特殊な言語使用であり、詩や修辞の領域に属する。

レイコフとジョンソンの主張はこうです。比喩は言語現象ではなく概念現象である。私たちは比喩を使って話しているのではなく、比喩を使って考えている。

「議論は戦争だ」

彼らが挙げた最初の例が、いまでは有名になった「議論は戦争だ」でした。

彼の主張は攻撃できない。議論の弱点を突かれた。その批判は的中した。論争に勝った、あるいは負けた。守勢に回る。反撃する。

これらは個別の言い回しではなく、ひとつの概念構造から派生した体系です。私たちは議論というものを、戦争の枠組みで理解している。だからこそ、これらの表現が自然に感じられる。

そして彼らは思考実験を提示します。もし「議論はダンスだ」という概念メタファーを持つ文化があったとしたら、どうなるか。そこでは議論に勝敗がなく、参加者は敵ではなく相手役であり、目的は相手を倒すことではなく、美しく調和した動きを作ることになる。同じ行為が、まったく別の実践になります。

概念メタファー「議論は戦争だ」— 日常語に埋め込まれた構造議論は戦争だ日常の言い回し彼の主張は攻撃できない議論の弱点を突かれたその批判は的中した論争に勝った、負けた隠れている前提相手は敵である議論には勝敗がある譲歩は損失である対話ではなく攻防になるもし「議論はダンスだ」という比喩の文化なら、議論の実践そのものが変わる。※メタファーが実際の判断を動かすかを測った実験は、再現の結果が分かれている
図1:比喩は表現の飾りではなく、実践を組み立てる型として働く

方向づけと存在のメタファー

彼らはメタファーをいくつかの型に分類しました。

方向づけのメタファーは、空間の方向を使って抽象を理解するものです。「上がる」は良いこと、「下がる」は悪いこと。気分が上がる、株が上がる、地位が上がる。反対に、気が沈む、業績が落ち込む。この配置は恣意的ではなく、身体経験に根ざしている、というのが彼らの説明です。健康なとき人は立っており、病んだとき人は横たわる。

存在のメタファーは、抽象的なものを実体として扱うものです。インフレは敵だ。心は機械だ。この扱いによって、数えたり、原因を帰属させたり、対処したりできるようになります。

導管メタファー — この連載への突き刺さり

もうひとつ、この文脈で必ず触れておくべきものがあります。1979年にマイケル・レディが論じた導管メタファーです。

私たちは「考えを言葉に込める」と言い、「言いたいことが伝わらない」と言います。この言い方は、意味という中身が、言葉という容器に入れられ、相手に運ばれる、というモデルを前提にしています。

しかし実際には、言葉は意味を運びません。運ばれるのは記号であり、意味は受け手の側で再構成されます。第13章で見たシャノンの数理モデルが「意味は工学の問題ではない」と切り離したのも、同じ地点を別の角度から指しています。

この連載のタイトルにある「伝わる」という日本語自体が、導管メタファーの上に立っています。私たちは、この比喩の中でしか、この主題を語れない。だからこそ、その比喩がどこで嘘をつくかを知っておく必要があります。

導管メタファーが嘘をつくのは、こういう場面です。資料を送ったのだから内容は届いたはずだ、と考えてしまうとき。説明したのだから理解されたはずだ、と考えてしまうとき。容器を渡したことと、中身が再現されたことは別です。第16章で見た知識の呪いが厄介なのは、この二つを区別する感覚そのものを、比喩が鈍らせてしまうからでもあります。

2300年越しの反論

第1章で見たように、プラトンはレトリックを料理法になぞらえて告発しました。栄養ではなく快楽を与えるもの、真理ではなく見かけを扱うもの、として。

この告発の前提は、真理を語る「飾りのない言語」が存在する、という信念です。哲学は裸の真理を語り、レトリックはそれに衣装を着せる、と。

レイコフとジョンソンが示したのは、その裸の言語が存在しない、ということでした。「議論を組み立てる」も「論点を押さえる」も「立場を守る」も、すべて比喩です。比喩を全部剥がした残余としての言語は、どこにもありません。

彼らはこの立場を経験基盤主義と呼びました。客観主義(意味は世界の側にある)とも、相対主義(意味は完全に恣意的である)とも違う第三の道です。意味は身体を持つ生き物としての経験に根ざしており、だから恣意的ではないが、絶対的でもない。

ただし、実験的な検証は分かれている

ここは正直に書いておく必要があります。概念メタファー理論が言語データの分析として説得力を持つことと、メタファーが実際に人の判断を変えることは、別の問題です。

よく引かれるのが2011年のポール・ティボドーとレラ・ボロディツキーの研究です。犯罪を「街に巣食う野獣」と記述した文章を読んだ参加者は取り締まりの強化を支持し、「街に広がるウイルス」と記述した文章を読んだ参加者は社会的な原因への対処を支持した、というものでした。

しかしその後の追試では、効果が非常に小さい、あるいは検出されないという報告も出ています。第17章で見た再現性の問題は、この領域にも及んでいます。メタファーが思考の枠組みであるという主張と、特定のメタファーで判断が測定可能なほど動くという主張を、混同しないほうが安全です。

2. ペティとカシオッポ 1986 — 説得は二つの道を通る

同じ1980年代、説得研究の側でも重要な統合が起きていました。リチャード・ペティとジョン・カシオッポの精緻化見込みモデルです。

それまでの説得研究は、混乱していました。ある実験では論拠の強さが効き、別の実験では話し手の魅力が効く。ある研究では効果が持続し、別の研究では数日で消える。統一的な説明がありませんでした。

二人の答えは、条件の定式化でした。人がメッセージを処理する経路は二つある。どちらを通るかは、聞き手の状態が決める。

  • 中心ルート:論拠そのものを吟味する経路。処理する動機と能力の両方が必要。ここで生じた態度変化は持続し、行動を予測しやすく、反論にも強い
  • 周辺ルート:手がかりに頼る経路。話し手の魅力、肩書き、情報の量、その場の雰囲気。ここで生じた態度変化は一時的で、崩れやすい

どちらを通るかを決めるのが、精緻化の見込みです。それは関与度と処理能力の掛け算で決まります。自分に関係が深く、考える余裕があれば中心ルート。関係が薄いか、急いでいるか、疲れていれば周辺ルート。

精緻化見込みモデル — 説得は二つの道を通るメッセージが届く関与度が高く、処理する余裕があるか中心ルート論拠そのものを吟味する態度変化は持続する行動を予測しやすい反論にも強い周辺ルート手がかりで判断する話し手の魅力、肩書き、量態度変化は一時的崩れやすい中心ルートはロゴス、周辺ルートはエトスとパトス。どちらが効くかは聞き手が決める。※二つのルートは断絶ではなく連続的だ、という批判もある
図2:同じ内容でも、聞き手の関与度によって効く資源が入れ替わる

よく引かれる実験があります。大学が卒業のための総合試験を導入する、という提案を学生に提示する。ある群には自分の在学中に導入されると伝え(高関与)、別の群には10年後に導入されると伝える(低関与)。

高関与群では、論拠の強さが賛否を左右しました。低関与群では、論拠の強さはほとんど効かず、代わりに提案者が専門家かどうかが効きました。同じメッセージが、聞き手の状態によって別の部品に分解されて処理されたわけです。

ほぼ同時期に、シェリー・チェイキンがヒューリスティック・システマティック・モデルという類似の枠組みを提出しています。二つのモデルには違いもありますが、二重過程という発想は共通しています。第17章で見たカーネマンのシステム1とシステム2も、同じ時代の空気の中にあります。

アリストテレスとの関係

この連載の第1の糸から見ると、精緻化見込みモデルの位置づけははっきりしています。中心ルートはロゴス、周辺ルートはエトスとパトスです。

アリストテレスは三つの資源を並べましたが、どんな条件でどれが効くかまでは書きませんでした。ペティとカシオッポが加えたのは、その配分則です。2300年かけて、目録が条件つきの理論になった。

批判もあります。二つのルートは断絶ではなく連続的なのではないか。また、結果を見てからどちらのルートだったかを説明する事後的な使い方に陥りやすい、という指摘です。

3. タフテ 1983 — 芸術の側からの視線

レトリックの復権は、言葉の外側でも起きていました。

エドワード・タフテはイェール大学の政治学者・統計学者でしたが、1983年に『定量情報の視覚表示』を自費出版します。出版社が引き受けなかったため、自宅を抵当に入れて印刷したという逸話が残っています。

この本が提示した概念のうち、実務に直接効くものを挙げます。

  • データインク比:紙の上のインクのうち、データそのものを表している割合。これを最大化せよ
  • チャートジャンク:装飾的な罫線、立体効果、模様の塗りつぶし、意味のないグリッド。データを覆い隠す視覚的な雑音
  • 嘘係数:グラフが示す効果の大きさを、データが示す実際の効果の大きさで割った値。1から離れるほど、そのグラフは嘘をついている

タフテはまた、歴史の中に埋もれていた名作を再発見しました。1869年にシャルル・ミナールが描いたナポレオンのロシア遠征図は、兵員数、位置、進路の方向、日付、気温という6つの変数を1枚の図に統合しています。1854年にジョン・スノーが描いたコレラの地図も、この文脈で再評価されました。

ここで注目したいのは、タフテの視線の出所です。彼は統計学者でありながら、美術と印刷術の伝統から批評しました。書体、余白、紙質、線の太さ。第8章で見たレッシングの『ラオコオン』以来の、媒体固有の表現論の系譜がここに接続します。

タフテにも反証がある

データインク比の最大化は、直感的に正しく響きます。しかし実験的に検証すると、話は単純ではありません。

2010年、スコット・ベイトマンらは「役に立つジャンク?」という論文で、装飾のあるグラフとタフテ的に簡素化したグラフを比較しました。理解の正確さに差はなく、長期の記憶保持では装飾のあるグラフのほうが良い、という結果でした。

この研究にも標本の小ささなどの限界があり、決着したとは言えません。ただ、押さえておくべきは、タフテの規範が美学的かつ職人的な主張であって、実験によって確立された法則ではない、ということです。

4. ノーマン 1988 — 悪いのは人ではなく設計である

もう一人、この時期に決定的な視点を持ち込んだのが認知科学者のドナルド・ノーマンでした。1988年の『日常品の心理学』(後に『日常品のデザイン』と改題、邦訳『誰のためのデザイン?』)です。

この本を象徴するのが、いわゆるノーマンのドアです。押すのか引くのか分からないドア。取っ手が付いているのに押さなければならないドア。使う人が間違えるたびに自分を責めるようなドア。

ノーマンの主張は明快でした。それは人間の失敗ではなく、設計の失敗である。

彼が導入した概念のうち中心的なものは、アフォーダンス、概念モデル、対応づけ、フィードバック、制約です。とくにアフォーダンスは、生態心理学者ジェームズ・ギブソンの用語を借用したものでした。

ここにも自己訂正の物語があります。ノーマンは後に、自分の使い方がギブソンの原義とずれていることを認め、「知覚されたアフォーダンス」と言い直し、2013年の改訂版では「シグニファイア」という別の語を導入しました。用語を作った本人が、その用語を訂正した例です。

ノーマンの発想は、第16章で見た認知負荷理論と同じ系譜にあります。人間の認知能力には限界がある。その限界を責めるのではなく、限界に合わせて外界を設計する。伝える側の仕事は、相手を賢くすることではなく、相手の負担を減らすことである、という転換です。

この転換は、責任の所在を動かしました。分かりにくい資料を前にして、読み手が自分の理解力を疑うのではなく、作り手が自分の設計を疑う。当たり前に聞こえますが、実務の現場ではいまも逆になりがちです。読んでいない、聞いていない、理解していない、という言い方が出たときは、たいてい設計側に見落としがあります。

5. 第7章への反論としての構図

ここで、この連載の第7章に戻ります。

17世紀、王立協会は会員に対して、装飾を捨て、数学的に平明な言葉で書くことを求めました。トマス・スプラットが記録した有名な方針です。比喩は真理を曇らせるものとして、明確に敵視されました。

この運動には長い続きがあります。1946年、ジョージ・オーウェルは「政治と英語」で、死んだ比喩を使うな、と書きました。ストランクとホワイトの文章読本も、20世紀のプレインイングリッシュ運動も、同じ方向を向いています。比喩を削れ、飾りを捨てろ、透明な言葉で書け。

レイコフとジョンソンの発見は、この300年の命令に対する反論として読むことができます。透明な言葉など存在しない。比喩を削ったつもりでも、別の比喩に乗り換えているだけである、と。

では平明文体運動は間違いだったのか

そうではありません。この対立は、よく見ると層が違います。

平明文体運動が攻撃したのは、意味に寄与しない装飾でした。同じことを言うのに必要以上の語を使うこと、権威づけのための難語、読み手を疲れさせるだけの凝った言い回し。これらは実際に削るべきものです。

レイコフとジョンソンが擁護したのは、思考の骨格としての比喩です。それは削れない。削ったつもりになれるだけです。

つまり実務における結論はこうなります。削れる装飾は削る。削れない骨格は、無自覚に採用するのではなく、意識して選ぶ。

タフテとレイコフは矛盾しない — 削るものと、選ぶもの削るものタフテのチャートジャンク批判3D効果、影、無意味なグリッド内容に寄与しない色数同じ内容の二重提示自己満足の凝った装飾データインク比を上げる選ぶものレイコフの概念メタファーこの案件を何になぞらえるか戦争か、旅か、建築か、治療か選ばないことはできない無自覚か、意識してかの差だけ骨格の比喩を一つに揃える飾りを削れという命令と、比喩は思考の骨格だという発見は、別の層の話。プラトンが追放したレトリックは、2300年後に、論理そのものの器として戻ってきた。
図3:装飾は減らし、骨格は選ぶ。二つは対立しない

タフテのチャートジャンク批判は前者に属し、レイコフの概念メタファーは後者に属します。二つは矛盾しません。同じ資料の中で、装飾を減らしながら、比喩を選ぶことができます。

この連載の第1の糸から見れば、ここで起きたのはロゴスの復権ではありません。ロゴスとパトスの境界が溶けた、というほうが正確です。メタファーは論理の外側にある飾りではなく、論理そのものが入っている器でした。プラトンが分離しようとした二つは、もともと分離できなかったのです。

明日から使える3つの実装

1. いま使っている支配的な比喩を、一度書き出す

提案でも社内資料でも、書き始める前に一行だけ書いてください。この案件は何になぞらえられているか、という一行です。

戦争なのか、旅なのか、建築なのか、治療なのか、料理なのか。競合との「戦い」として書くのか、顧客との「旅」として書くのか。この選択は、以降の語彙、構成、そして読み手が取る態度まで規定します。選ばないという選択肢はありません。ならば意識して選ぶほうがいい。

そして、途中で比喩を乗り換えないこと。「まずは足場を固め、その後一気に攻め込み、最後に丁寧に煮込む」という文章は、読み手の頭の中で像が三回作り直されます。

2. 相手の関与度で、資源の配分を変える

精緻化見込みモデルの実務的な使い方は、単純です。相手にとってこの件の関与度は高いか低いか、を最初に判断する。

高関与なら、論拠に投資してください。数字、根拠、反論への先回り。この場合、権威づけや装飾は効果が薄いどころか、疑いを招きます。

低関与なら、周辺の手がかりに投資することになります。ただしここには倫理の問題が発生します。相手が吟味しない状態で、手がかりだけで判断させることは、第11章のバーネイズの領域に近づく行為です。誠実な選択は、周辺ルートを利用するのではなく、関与度を上げる工夫をすることです。

3. 装飾は数え、骨格は揃える

資料を作り終えたら、二種類の点検を分けて行ってください。

装飾の点検は数えます。1枚のスライドで使っている色は何色か。立体効果や影は必要か。同じ内容が図と文で二重になっていないか。減らせるものは減らす。

骨格の点検は揃えます。使っている比喩は一貫しているか。その比喩は、この案件に対して適切な態度を引き出すか。「議論は戦争だ」で書かれた提案書は、相手に防御の姿勢を取らせます。それが望ましくないなら、別の骨格を選ぶ。

まとめ

1980年、レイコフとジョンソンは、メタファーが言葉の飾りではなく思考の枠組みであることを示しました。プラトンが前提とした「飾りのない言語」は存在しない。これは2300年越しの、静かな反論でした。

ペティとカシオッポは、説得が二つの経路を通ることを定式化し、アリストテレスの目録に配分則を加えました。タフテは統計の図に美学の視線を持ち込み、ノーマンは人間の失敗を設計の失敗として読み替えました。

どの仕事にも限界と反証があります。概念メタファーの実験的効果は再現が分かれ、データインク比の優位は必ずしも実証されず、二つのルートは断絶していないかもしれない。それでも、この時期に起きた統合の意味は変わりません。

レトリックは、追放先から戻ってきました。ただし戻ってきたのは、演説の技法としてのレトリックではなく、認知の構造としてのレトリックでした。飾りではなく、骨格として。

次章では、この骨格が置かれる場所そのものが希少になっていきます。第19章「注意の経済学 — 情報が溢れると、何が貧しくなるのか」。1971年のハーバート・サイモンの予言から、検索とSEO、ニールセンのユーザビリティ研究とFパターン、無限スクロールの設計倫理、そしてAI時代の最適化までを追います。

主要参考文献

  • George Orwell, Politics and the English Language, Horizon, 1946
  • Michael J. Reddy, The Conduit Metaphor, in Andrew Ortony (ed.) Metaphor and Thought, Cambridge University Press, 1979
  • Shelly Chaiken, Heuristic versus Systematic Information Processing and the Use of Source versus Message Cues in Persuasion, Journal of Personality and Social Psychology, 39(5), 1980
  • George Lakoff & Mark Johnson, Metaphors We Live By, University of Chicago Press, 1980(邦訳『レトリックと人生』)
  • Edward R. Tufte, The Visual Display of Quantitative Information, Graphics Press, 1983
  • Richard E. Petty & John T. Cacioppo, Communication and Persuasion: Central and Peripheral Routes to Attitude Change, Springer, 1986
  • Donald A. Norman, The Psychology of Everyday Things, Basic Books, 1988(邦訳『誰のためのデザイン?』)
  • Edward R. Tufte, Beautiful Evidence, Graphics Press, 2006
  • Scott Bateman et al., Useful Junk? The Effects of Visual Embellishment on Comprehension and Memorability of Charts, Proceedings of CHI, 2010
  • Paul H. Thibodeau & Lera Boroditsky, Metaphors We Think With: The Role of Metaphor in Reasoning, PLoS ONE, 6(2), 2011
  • Donald A. Norman, The Design of Everyday Things: Revised and Expanded Edition, Basic Books, 2013

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この記事を書いた人

伸

村中 伸滋 伸滋Design 代表

「伝わる」を科学するプレゼンテーションデザイナー / 外部CSO。認知科学・行動経済学・神経科学の知見をコミュニケーション設計に応用し、経営層の戦略プレゼンから学会発表・研究費申請書まで支援。国際学術誌 ChemPhotoChem の表紙アート採用、大学学長の国際連携プレゼンテーション制作支援などの実績。

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