経営会議で、新規事業の提案書が配られたとします。役員が最初に知りたいのは、「市場は本当にあるのか」「いくら投資し、いつ回収できるのか」「失敗した場合の損失はどこまでか」です。ところが目次には、「背景」「分析」「考察」「今後について」とだけ書かれています。
必要な情報は本文のどこかにあります。しかし、「市場規模」が分析にあるのか考察にあるのか、「投資回収」が今後についてに含まれるのか、目次だけでは予測できません。役員はページを行き来し、検索し、作り手へ質問します。情報不足ではなく、目的の情報へ近づいていると感じられる手掛かりが不足しているのです。
結論から言えば、伝わる資料は「何を載せるか」だけでなく、「次にどこを見れば答えへ近づくか」を設計しています。読者は、見出し、目次、リンク、図のタイトルなどから、先にある情報の価値と到達コストを予測します。この手掛かりが「情報の匂い(Information Scent)」です。本稿では、その科学的根拠と限界を整理し、伸滋Design独自の実務フレーム「Q–CUE–PATH」へ翻訳します。
「情報の匂い」とは何か
情報の匂いとは、今見えている手掛かりから、「この先に自分の求める情報がありそうか」「そこへ進むコストに見合うか」を推測する感覚です。もちろん実際の匂いではありません。見出しの言葉、リンク周辺の説明、メニューの分類、図のタイトル、検索結果の抜粋などが、離れた場所にある情報の価値を予告します。
Peter PirolliとStuart Cardは、情報探索を食物探索になぞらえた情報フォレージング理論を体系化しました。人は可能な範囲で、価値ある情報を得る速度が高くなるように、探索方略や情報環境を調整すると考えます。理論には、情報がまとまって存在する「パッチ」をいつ離れるか、どの手掛かりを追うかを扱うモデルが含まれます(Pirolli & Card, 1999)。
George Furnasは、大きな情報空間を局所的な画面だけで移動するとき、目的地へ続くリンクには、遠くにある対象を示す「residue(痕跡)」が必要だと論じました。すべての到達先を列挙すれば正確でも、情報量が増えすぎて使えません。短いラベルで、その先にある情報のまとまりを正しく代表する必要があります(Furnas, 1997)。

資料に置き換えると、見出しは本文の要約ではなく、次の判断を支える案内標識です。「分析」という見出しより、「市場規模は3年で1.8倍になる」の方が、読者は自分の問いとの関係を判断できます。短くすること自体ではなく、短い言葉で到達先を正しく予告することが重要です。
読者は最初から順番に読むとは限らない
作り手は、1ページ目から最後まで説明する順番で資料を設計します。しかし読み手は、時間、役割、関心に応じて飛び読みします。経営者は結論とリスク、営業は顧客課題、技術担当は実現条件から読むかもしれません。同じ資料の中で、複数の探索が同時に起きます。
Chiらは、Web上の行動と情報ニーズの関係を扱う計算手法を開発しました。利用者の閲覧経路から情報ニーズを推定し、逆に情報ニーズから進みそうな経路を予測する試みです。そこで情報の匂いは、知覚できる手掛かりから、ページへ進む価値とコストを見積もるものとして扱われました(Chi, Pirolli, Chen & Pitkow, 2001)。前年の研究でも、サイト構造と利用行動から情報の匂い、利用状況、ユーザビリティを分析・予測するシステムが提案されています(Chi, Pirolli & Pitkow, 2000)。
これは「読者は好き勝手に読むから、順序設計は不要」という意味ではありません。むしろ、どこから入っても現在地と次の候補がわかり、必要に応じて本筋へ戻れる構造が求められます。冒頭の要約、問いに対応した目次、結論型の見出し、前提への戻りリンク、次の行動を示すCTAが、一つの経路として働きます。
匂いの弱い資料にある三つの問題
1.見出しが抽象的で、到達先を予告しない
「背景」「課題」「分析」「考察」「まとめ」は、文章の種類を示しても、内容を示しません。読者は開いてみるまで、自分の問いに関係するかわかりません。「市場参入を急ぐべき三つの変化」「現行案では利益化まで24か月かかる」のように、見出しだけで対象と主張がわかる方が、探索の精度が上がります。
2.作り手の言葉と、読者の問いがずれている
社内では「フェーズ2移行条件」と呼ばれていても、顧客が知りたいのは「いつ本格導入できるか」かもしれません。専門家には正確な用語でも、初めて読む人に同じ言葉が想起されるとは限りません。手掛かりは、作り手の分類体系ではなく、読者が頭の中で使っている問いに接続する必要があります。
3.見出しと中身が一致しない
「導入効果」という見出しを開いたのに、機能一覧と会社紹介しかなければ、匂いは誤誘導になります。一度の誤誘導でも、読者はその後の見出しを信用しにくくなります。強い表現でクリックさせることより、ラベルと到達先を一致させることが重要です。
Blackmonらは、ユーザーの目標文と見出し・リンク文の意味的な近さを用いて、Web上の情報探索を評価するCognitive Walkthrough for the Webを提案しました(Blackmon et al., 2002)。続く二つの実験では、検出された問題を修復する方法を検討し、目標とラベルの対応を改善する修正の有効性を報告しています(Blackmon, Kitajima & Polson, 2003)。
ここでの示唆は、見出しを「格好よくする」ことではありません。読者の目標を言葉にし、その目標と見出しの意味が近いかを確かめることです。会議資料なら、代表的な読者の問いを5〜10個書き出し、目次だけを見て答えの場所を指せるかを確認できます。
情報の量より、「手掛かりの幅」と質を整える
一つのページに選択肢が多すぎれば迷いやすくなります。ただし、選択肢を減らせば自動的に使いやすくなるわけではありません。少ない見出しが曖昧なら、読者はどれも選べません。反対に、数が多くても分類とラベルが明確なら、目的の区画へ絞れます。
KatzとByrneは、ECサイトでメニューをたどるか、サイト内検索を使うかという選択を二つの研究で調べました。メニューの広がりと情報の匂いの両方が、閲覧と検索の選択に影響しました(Katz & Byrne, 2003)。実務への示唆は、「項目数は少ないほどよい」という単純な規則ではなく、必要な選択肢を区別できる手掛かりがあるかを同時に見ることです。
これは認知負荷を下げる情報設計と補完関係にあります。認知負荷は、処理しなければならない量や複雑さを扱います。情報の匂いは、その負荷をどこへ向けるかという探索の問題です。読みやすくても目的の答えに近づけなければ、読者は迷います。
視覚的な強調も同じです。色、大きさ、位置は「ここを見て」と注意を向けられますが、そこに何があるかを正しく予告しなければ意味がありません。数値の比較を助ける視覚符号については、グラフィカル・パーセプションの記事で詳しく解説しています。情報の匂いは、注意を向けた後に「自分の問いと関係する」と判断できる言語的・意味的手掛かりを加えます。
伸滋Design独自の「Q–CUE–PATH」
研究知見を資料制作へ翻訳するため、伸滋Designでは編集上の実務フレームとしてQ–CUE–PATHを提案します。これは学術理論名ではなく、見出し・目次・リンクの情報の匂いを点検する三段階です。

Q:Question――読者が探している答えを先に書く
「何を伝えたいか」ではなく、「読者がどの判断をするために、何を探すか」を書きます。たとえば経営者向け提案なら、「なぜ今か」「いくら必要か」「いつ回収できるか」「主な失敗条件は何か」です。役割が違う読者がいる場合は、問いを分けます。
問いは検索語に近い具体性まで下げます。「効果を知りたい」ではなく、「導入後3か月で、どの業務時間が何%減るか」です。この問いが、見出しを評価する基準になります。
CUE:Cue――見える言葉で到達先を予告する
目次、見出し、図のタイトル、リンク文、ボタン文を、読者の問いに使った言葉へ寄せます。「詳細はこちら」ではなく、「導入費用と回収期間を見る」とします。「当社の強み」ではなく、「既存システムを止めずに移行できる理由」とします。
結論をすべて見出しに書けない場合も、対象と観点は示せます。「リスク」より「導入初月に起きやすい三つの運用リスク」の方が、その先にある情報を予測できます。専門用語が必要なら、読者の言葉を併記します。
PATH:Path――手掛かりを答えまで連続させる
強い見出しが一つあっても、その次のページで話題が飛べば経路は切れます。問いに対する短い答え、根拠、条件、次の判断という順で、手掛かりを連続させます。目次の言葉と本文見出し、図のタイトル、CTAの言葉もそろえます。
FuとPirolliのSNIF-ACTは、利用者の目標とリンク内容の関連性からWebナビゲーションを説明する認知モデルです。改良モデルは、人のリンク選択を、位置だけで選ぶモデルなどよりよく捉えました(Fu & Pirolli, 2007)。読者は単に上から近い項目を選ぶのではなく、自分の目標に近い手掛かりを評価しながら進むという考えを支えます。
具体例:新規事業提案の目次を設計し直す
改善前の目次が「背景/市場分析/提案内容/収支計画/課題/まとめ」だったとします。分類としては間違っていませんが、読者が持つ問いへの答えは開くまでわかりません。
まずQで、役員の問いを四つにします。「なぜ今年参入するのか」「どの顧客が買うのか」「いくら投資し、いつ回収するのか」「撤退判断は何で決めるのか」です。
次にCUEで、目次を「今後18か月が参入機会である三つの理由/最初に獲得する顧客層と未解決課題/初期投資3,000万円と24か月回収の前提/撤退を判断する三つの指標」に変えます。数字が未確定なら、無理に断定せず「回収期間を左右する三つの前提」と表現します。
最後にPATHで、各章を「短い答え→根拠となるデータ→前提と限界→求める判断」の順にそろえます。役員がどの章から入っても、判断に必要な前提へ戻れ、最後は承認・追加調査・保留のどれを求めているかがわかります。

この方法は、抽象語を行動へ翻訳する3層設計ともつながります。情報の匂いは、単に具体語を増やすことではありません。読者の判断に必要な粒度へ翻訳し、その言葉を経路上で一貫して使うことです。
見出し・図・CTAでの使い分け
見出し:章の内容ではなく、答える問いを示す
名詞だけの見出しを、対象・変化・判断がわかる形にします。「顧客課題」なら「担当者が毎月6時間を失う集計作業」、「競合比較」なら「既存3社が対応できない運用条件」とします。本文が証明できない強さまで言い切らないことも重要です。
図とグラフ:何を比較し、何を読めばよいかを示す
「売上推移」というタイトルだけでは、どの変化を見るべきかわかりません。「新規顧客の増加が第3四半期の成長を牽引」のように、図の役割を示します。ただし、結論をタイトルへ書く場合は、図がその主張を実際に支えているかを確認します。
リンクとCTA:クリック後の状態を予告する
「詳しくはこちら」「お問い合わせ」だけでは、先で何が起きるかわかりません。「料金と支援範囲を見る」「3分で伝達ロスを診断する」「初回相談で整理できることを確認する」と、到達先と行動コストを示します。強い匂いはクリック率を上げる言葉ではなく、期待と到達先を一致させる言葉です。
科学的根拠の限界
情報の匂い研究を資料制作へ使うときには、少なくとも四つの限界があります。
第一に、主要な研究はWebページ、メニュー、リンク、ツリー構造の探索を扱っています。提案書、報告書、スライドの見出しに同じ効果量が生じると直接示したものではありません。本稿のQ–CUE–PATHは、ナビゲーション研究から資料設計へ行った実務上の翻訳です。
第二に、情報の匂いが強ければ、内容の正しさや説得力まで保証されるわけではありません。目的地へ速く着けても、根拠が弱い、比較が不適切、前提が隠されている可能性はあります。経路の設計と、主張の検証は別々に必要です。
第三に、読者の知識によって匂いは変わります。専門家には明確な略語が、初学者には無意味な記号になることがあります。FuとPirolliのモデルも、背景知識の違いを限界と将来課題の一つとして扱っています。代表的な読者ごとに問いと言葉を確認する必要があります。
第四に、強い手掛かりは、読者を特定の経路へ誘導します。それは利点である一方、別の解釈や例外を見落とさせる危険もあります。複雑な意思決定では、主経路を明確にしつつ、反対証拠、条件、詳細資料へ進める副経路も残します。
Pirolliらが二つの実験で調べたツリー探索では、情報の匂いが強いことが視覚探索を助ける一方、表示の密集など別の要因が探索を損なう場面もありました(Pirolli, Card & Van Der Wege, 2003)。ラベルだけを直すのではなく、項目数、配置、視認性、画面幅も合わせて点検する必要があります。
情報の匂いチェックリスト
- 代表的な読者が資料で探す問いを5〜10個書き出したか
- 目次だけを見て、それぞれの答えがある場所を指せるか
- 「背景」「考察」「詳細」など、内容を予告しない見出しが残っていないか
- 見出しに対象・観点・判断のうち少なくとも二つが含まれているか
- 作り手の社内用語ではなく、読者が使う言葉で手掛かりを示しているか
- 見出しが予告した内容を、直後の本文や図が実際に提供しているか
- 目次・本文見出し・図タイトル・CTAの言葉が一貫しているか
- どの章から読んでも、前提や根拠へ戻れるか
- リンク文が、クリック後の内容と必要時間を予告しているか
- 重要な例外や反対証拠へ進む副経路を残しているか
- 専門家と初学者の両方で、用語の意味が通じるか確認したか
- 第三者が目次だけを見て目的の情報を探す簡易テストを行ったか
まとめ:良い見出しは、読者の次の一歩を軽くする
資料が伝わらないとき、情報を追加する前に、読者が目的の情報へたどり着けるかを確認してください。情報の匂いが弱ければ、答えが載っていても見つけてもらえません。
Qで読者の問いを定め、CUEでその先を正しく予告し、PATHで答えまでの手掛かりを連続させる。見出し、目次、図のタイトル、リンク、CTAをこの順で見直すと、資料は説明の順番から、読者が判断できる経路へ変わります。
「情報は十分なのに、相手から同じ質問をされる」「提案書の説明が長くなる」「サービスページを読んでも相談につながらない」という場合、原因は情報量ではなく、情報の匂いにあるかもしれません。まずは3分でできる伝達ロス診断で、読者が迷う場所を確認できます。提案書・サービス資料・Web導線を一緒に整理したい方は、お問い合わせページからご相談ください。
参考文献
- Pirolli, P., & Card, S. (1999). Information Foraging. Psychological Review, 106(4), 643–675. https://doi.org/10.1037/0033-295X.106.4.643
- Furnas, G. W. (1997). Effective View Navigation. Proceedings of CHI ’97, 367–374. https://doi.org/10.1145/258549.258800
- Chi, E. H., Pirolli, P., & Pitkow, J. (2000). The Scent of a Site: A System for Analyzing and Predicting Information Scent, Usage, and Usability of a Web Site. Proceedings of CHI 2000, 161–168. https://doi.org/10.1145/332040.332423
- Chi, E. H., Pirolli, P., Chen, K., & Pitkow, J. (2001). Using Information Scent to Model User Information Needs and Actions on the Web. Proceedings of CHI 2001, 490–497. https://doi.org/10.1145/365024.365325
- Blackmon, M. H., Polson, P. G., Kitajima, M., & Lewis, C. (2002). Cognitive Walkthrough for the Web. Proceedings of CHI 2002, 463–470. https://doi.org/10.1145/503376.503459
- Blackmon, M. H., Kitajima, M., & Polson, P. G. (2003). Repairing Usability Problems Identified by the Cognitive Walkthrough for the Web. Proceedings of CHI 2003, 497–504. https://doi.org/10.1145/642611.642698
- Katz, M. A., & Byrne, M. D. (2003). Effects of Scent and Breadth on Use of Site-Specific Search on E-Commerce Web Sites. ACM Transactions on Computer-Human Interaction, 10(3), 198–220. https://doi.org/10.1145/937549.937551
- Pirolli, P., Card, S. K., & Van Der Wege, M. M. (2003). The Effects of Information Scent on Visual Search in the Hyperbolic Tree Browser. ACM Transactions on Computer-Human Interaction, 10(1), 20–53. https://doi.org/10.1145/606658.606660
- Fu, W.-T., & Pirolli, P. (2007). SNIF-ACT: A Cognitive Model of User Navigation on the World Wide Web. Human–Computer Interaction, 22(4), 355–412. https://doi.org/10.1080/07370020701638806
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