「専門用語を減らして、短い文で書いてください」。資料のレビューで、こう言われた経験はないでしょうか。この要求は現代のビジネス文化の産物のように見えますが、実は350年前に、一つの学術団体が組織として決議した方針が起源です。
連載「伝わるの人類史」第7章。舞台は17世紀のイギリス。ここから連載の第3の糸——〈科学化の歩み〉——が本格的に動き始めます。この章で起きるのは2つの大きな出来事です。ひとつは「わかりやすさ」が価値になったこと。もうひとつは「なぜ伝わるのか」を心の仕組みで説明する試みが始まったことです。
1. 装飾との決別——王立協会の決断
16〜17世紀のヨーロッパの学術文章は、現代人が読むと驚くほど装飾的でした。一文が延々と続き、古典からの引用が散りばめられ、比喩が重ねられる。難解であることが教養の証明だったのです。第5章で見た中世の型が硬直した末の姿でもありました。
この文体に、明確な「ノー」を突きつけたのが、科学革命の担い手たちでした。
1660年に設立されたロンドン王立協会は、会員に対して簡潔な文体を求めます。歴史家トマス・スプラットが1667年に記した協会史には、有名な一節があります。会員は「誇張・脱線・華美な文体」を退け、「事物と同じ数の語で、明晰・自然・簡潔に語る」ことを求められた、と。
なぜ彼らは飾りを捨てたのか
重要なのは動機です。これは美意識の変化ではありませんでした。科学という営みの構造が、平明さを要求したのです。
科学の主張は、他人が追試できなければ意味がありません。「私はこう観察した」を、別の人が別の場所で再現し、検証する。そのためには、誰が読んでも同じ手順を再構成できる記述でなければならない。装飾や比喩は、解釈の余地を生みます。解釈の余地は、検証の敵です。
ここに、私たちが現代でも使っている原則の起源があります。正確さのために、飾りを削る。認知科学の言葉で言えば、外在的認知負荷——内容そのものの難しさではなく、提示のまずさが生む無駄な負荷——を減らす運動が、350年前に組織的に始まったのです。
フランシス・ベーコンが『ノヴム・オルガヌム』(1620年)で警告した「市場のイドラ」(言葉の不正確な使用が思考を歪める)も、同じ問題意識でした。デカルトが『方法序説』(1637年)を、当時の学術語ラテン語ではなくフランス語で書いたのも同じ流れです。第6章のルターと同じ判断——読者を専門家から一般へ広げるために、言語を変える——が、今度は科学の側で起きました。
ただし、平明さには落とし穴もある
公平のために書き添えると、平明文体運動には批判もありました。詩人や文学者からは「言葉から豊かさが失われる」という反論が出ます。実際、比喩は単なる飾りではなく思考の道具でもあります(この点は第18章のレイコフで大きく扱います)。
現代の資料作成でも同じ緊張があります。削りすぎた資料は、正確だが記憶に残らない。削るべきはノイズであって、意味ではない——この線引きの難しさは、350年経ったいまも解決していません。
2. 「なぜ効くのか」を問う——スコットランド啓蒙の転回
18世紀後半、スコットランドで、レトリックの歴史に決定的な転回が起こります。それまでレトリックは「こう語れ」という規範の体系でした。アリストテレスの分類も、キケロの五部門も、中世の型も、基本的には「良い実践のカタログ」です。
ここに「なぜそれが効くのか」を問う視点が入ります。
ジョージ・キャンベル『レトリックの哲学』(1776年)
牧師であり学者だったジョージ・キャンベルは、当時最先端だった心の哲学(現代の心理学の前身)を使って、説得のメカニズムを説明しようとしました。
彼は弁論の目的を4つに分け、それぞれが人間の心のどの機能に働きかけるかを対応させました。理解に働きかけるなら明晰さが要る。想像に働きかけるなら鮮明な描写が要る。感情に働きかけるなら共感が要る。意志に働きかけるなら、それら全部を積み上げて行動に至らせる必要がある。
この本の画期性は、結論の中身ではなく説明の様式にあります。「昔からそう言われている」でも「偉大な弁論家がそうしていた」でもなく、「人間の心がこう働くから、この技法が効く」と論じたのです。
キャンベルは、当時の連想心理学やヒュームの人間本性論の影響を受けていました。つまり彼は、その時代に手に入る最良の「心の科学」を、伝え方に応用したのです。
当ブログが認知科学や神経科学を伝え方に応用しているのは、まったく同じ営みです。使う道具がヒュームからfMRIに変わっただけで、姿勢は1776年から変わっていません。
ヒュー・ブレア『修辞学・文学講義』(1783年)
もう一人、忘れてはならないのがヒュー・ブレアです。彼のエディンバラ大学での講義録は、19世紀を通じて英米の大学で使われる世界的ベストセラーの教科書になりました。
ブレアの特徴は、レトリックを「趣味(テイスト)」と結びつけた点にあります。良い文章とは何かを、規則ではなく感覚の洗練として教えようとした。これは次章で扱う美学の誕生と密接に関わります。
そして、この2人の仕事によって、伝え方の教育は「弁論術」から「作文と読解」へと重心を移していきます。話す技術から、書く技術へ。印刷が普及した社会の必然でした。
3. この時代が現代に残したもの
17〜18世紀のこの動きは、私たちの仕事に3つの遺産を残しています。
- ①「わかりやすさ」が価値になった:それ以前、難解さは権威の証明でした。いま私たちが「専門用語を減らせ」と言えるのは、この転換のおかげです。
- ②説明の根拠が「権威」から「メカニズム」へ移った:なぜ効くのかを人間の心の仕組みで説明する——認知科学に基づく現代の伝え方論は、すべてこの系譜にあります。
- ③書き言葉が主戦場になった:口頭の弁論から、印刷された文章へ。読み手が自分のペースで読み、いつでも中断できる——この条件が、見出しや段落の設計を重要にしました。
補助線:現代の「読まれない資料」問題
興味深いのは、350年前と同じ問題が、いま形を変えて再発していることです。当時の装飾過剰な文体に相当するのが、現代では情報過剰なスライドでしょう。
文字を小さくして情報を詰め込む。すべてのデータを載せる。丁寧に見えて、実は読み手の負荷を増やしている。王立協会の会員たちが「事物と同じ数の語で」と決めたことを、現代の私たちは「1スライド1メッセージ」と呼んでいます。同じ原則の、別の言い方です。
4. 明日から使える3つの実装
①「これは誰でも同じ手順を再現できるか」で文章を点検する。王立協会の基準です。読み手によって解釈が割れる表現は、削るか具体化する。
②削るのはノイズ、残すのは意味。装飾は削っても、比喩や具体例は残す。「短くする」と「痩せさせる」は違います。
③「なぜこの伝え方が効くのか」を一度は言語化する。キャンベルがやったことです。理由が言えない技法は、応用が利きません。当ブログが毎回「科学的根拠」を書いているのは、この理由からです。
5. まとめ——「わかりやすさ」は発明品である
わかりやすく書くことは、当たり前の美徳ではありません。特定の時代に、特定の理由から発明された価値観です。科学という営みが検証可能性を必要とし、そのために文体が設計変更された。その副産物として、私たちは「明晰さは善である」という感覚を手に入れました。
そして同じ18世紀、まったく逆方向の問いを立てた人々がいました。なぜ人は、恐ろしいものや崇高なものに心を打たれるのか。合理性では説明できない感動の領域を、彼らは「美学」として切り拓きます。
次回・第8章は感情の科学前夜——美学の誕生。バークの崇高論(恐怖はなぜ快楽になるのか)、レッシングの『ラオコオン』(メディアごとに伝わり方が違うことの最初の理論化)、そしてカント。連載の〈芸術からの視線〉が最も濃く出る章です。
主要参考文献
- トマス・スプラット『ロンドン王立協会史』(1667)
- フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』(桂寿一訳、岩波文庫)
- デカルト『方法序説』(谷川多佳子訳、岩波文庫)
- George Campbell, The Philosophy of Rhetoric (1776)
- Hugh Blair, Lectures on Rhetoric and Belles Lettres (1783)
- Sweller, J. (1988). Cognitive load during problem solving. Cognitive Science, 12(2), 257–285.
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