話し手を科学する

認知の要塞:なぜ人は自らの意見に固執し、政治的対立に熱狂するのか——脳科学・心理学・社会科学による多層的解明

序論:不毛な議論のパラドックスと「プレゼンを科学する」のその先へ

現代社会において、政治的な議論は日常のあらゆる場面に浸透している。ソーシャルメディアのフィードバックループから職場の休憩室、家庭の食卓に至るまで、人々は熱心に自らの見解を主張し、対立する意見を論破しようと試みる。しかし、ここで一つの不可解かつ普遍的な現象が観察される。それは、どれほど論理的な証拠が提示され、どれほど情熱的な説得が行われても、相手の意見が変わることは極めて稀であるという事実である。それどころか、反証を突きつけられることで、かえって元の信念を強固にしてしまう「バックファイア効果」さえ頻繁に確認される。

前回のテーマである「プレゼンを科学する」において、我々は情報の伝達効率や説得の技術論に焦点を当てた。しかし、現実のコミュニケーション、特に政治やイデオロギーが絡む領域においては、どれほど洗練されたプレゼンテーション技術を用いても突破できない「認知の壁」が存在する。本報告書では、次のステップとして、「なぜ人は自分の意見で変わらないことに一生懸命になるのか?」という問いを深掘りする。

この問いに対する答えは、単なる「頑固さ」や「勉強不足」といった個人の資質に帰結するものではない。提供された膨大な研究資料1が示唆するのは、我々の政治的固執が、脳の報酬系回路、進化的に獲得された部族維持の本能、実存的な不安を管理するための代償的メカニズム、そして加齢に伴う動機づけの変化といった、生物学的・心理学的に深く根差したシステムによって駆動されているという事実である。本稿は、これらのメカニズムを脳科学、認知心理学、社会心理学の知見を用いて包括的に分析し、人間が議論に熱中する真の動機を解明することを目的とする。

第1章 脳内報酬系と自己開示の快楽:意見表明の生物学的基盤

人間が政治的な意見を語る際、その動機は必ずしも「社会を良くしたい」という利他的なものでも、「真実を明らかにしたい」という知的なものでもない可能性がある。最新の脳神経科学の知見は、自分の意見を表明すること自体が、生物学的に強烈な快楽をもたらす行為であることを示している。

1.1 自己開示の神経科学的メカニズム

ハーバード大学のダイアナ・タミル(Diana Tamir)とジェイソン・ミッチェル(Jason Mitchell)による画期的な研究は、人間のコミュニケーションにおける根本的な動機を明らかにした3。彼らはfMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いた実験を行い、被験者が「自分の意見や性格について話す(自己開示)」ときと、「他人について判断する」ときの脳活動を比較した。

その結果、自己開示を行っている最中には、脳内の報酬系の中核である中脳辺縁系ドーパミン回路、特に側坐核(Nucleus Accumbens: NAcc)と腹側被蓋野(VTA)が著しく活性化することが判明した3。この領域は、食事、性行為、金銭的報酬、あるいは薬物摂取によって快楽物質ドーパミンが放出される部位と同じである。つまり、脳にとって「自分の考えを話す」という行為は、生存に関わる基本的な欲求の充足と同等の「快楽」として処理されているのである6

さらに興味深いことに、研究チームは被験者に対し、「金銭的報酬を少し放棄すれば自分の意見を言える」条件と、「金銭的報酬は多いが他人の意見についてしか言えない」条件を提示した。結果、多くの被験者が、金銭的な利益を犠牲にしてでも、自己開示を行う機会を選択した3。これは、自分の意見を述べることの主観的価値(Intrinsic Value)が、客観的な経済的価値を上回る場合があることを示唆している。

1.2 表出的効用(Expressive Utility)と投票行動のパラドックス

この脳科学的知見は、政治学における長年の謎である「投票のパラドックス」を解明する鍵となる。合理的選択理論(Rational Choice Theory)に基づけば、数千万人が参加する選挙において、一人の有権者の一票が結果を左右する確率は天文学的に低い。したがって、投票所に行くためのコスト(時間、労力)は、期待される利益(自分が望む政策の実現×決定権を持つ確率)を常に上回るはずであり、合理的な人間ならば棄権するはずである1

しかし、現実には多くの人々が投票し、政治的議論に熱中する。これを説明するのが「表出的効用(Expressive Utility)」という概念である1

効用の種類定義政治的文脈での具体例脳科学的対応
手段的効用 (Instrumental Utility)行動が外部的な結果をもたらすことで得られる利益。自党の候補者が当選し、減税が実現することで得られる経済的メリット。前頭前野による計算的・計画的処理。
表出的効用 (Expressive Utility)行動そのもの、あるいは信念を表明すること自体から得られる心理的満足感。支持政党への投票、SNSでの意見発信、デモへの参加から得られる高揚感や帰属意識。中脳辺縁系(側坐核・VTA)によるドーパミン報酬。

ブレナン(Brennan)やロマス(Lomasky)らが提唱する表出的投票理論によれば、人々は「選挙結果を変えるため」に投票するのではなく、「自分の選好を表明し、特定のアイデンティティを確認するため」に投票する1。これはスポーツファンがスタジアムで声援を送る心理に近い。ファンの声援が試合結果に与える物理的影響は微々たるものだが、応援すること自体が目的化しているのである。

政治談義において人々が意見を変えないのは、議論の目的が「正解の探求」ではなく、「表出的効用の最大化」にあるからだ。意見を変えることは、これまで積み上げてきた自己開示の快楽を否定し、アイデンティティの表出という報酬源を断つことを意味するため、脳は強烈な抵抗を示すのである。

第2章 社会的アイデンティティと部族主義:なぜ意見は「私自身」になるのか

ドーパミンによる報酬が意見表明を加速させる「アクセル」であるとすれば、意見を変えることに対する強力な「ブレーキ」として機能するのが、社会的アイデンティティと進化的にプログラムされた部族主義(Tribalism)である。

2.1 社会的アイデンティティ理論と「党派的セクト主義」

リリアナ・メイソン(Lilliana Mason)らの政治心理学研究によれば、現代の政治的二極化は、純粋な政策論争ではなく、社会的アイデンティティの衝突によって駆動されている10社会的アイデンティティ理論(Social Identity Theory)は、人間が自尊心を維持するために、自らが所属する集団(内集団)を肯定的に評価し、対立する集団(外集団)を否定的に差別化する生得的な傾向を持つことを説明する12

現代アメリカ政治において顕著に見られる現象は、「政治的セクト主義(Political Sectarianism)」と定義される11。かつて、個人のアイデンティティは「宗教」「人種」「地域」「職業」など多岐に分散しており、これらが互いに交差(Cross-cutting)していたため、政治的対立は緩和されていた。しかし現在、これらの属性が「リベラルか保守か」という単一の軸に整列(Sorting)してしまった。

  • メガ・アイデンティティ化: 政党支持は単なる「投票先」ではなく、人種、宗教、居住地、消費文化までをも包括する巨大なアイデンティティとなった。
  • 実存的脅威: したがって、政治的な意見を変えることや、対立政党に譲歩することは、単なる「考えの変更」ではなく、「自分が何者であるか」という自己定義の崩壊を意味し、所属集団からの追放(社会的死)を招くリスクとなる11

2.2 動機づけられた推論(Motivated Reasoning)と確証バイアス

このアイデンティティを防衛するために、人間の脳は高度な認知戦略を展開する。それが「動機づけられた推論(Motivated Reasoning)」である14。これは、あらかじめ「到達したい結論(例:私の支持政党は正しい)」が設定されており、その結論を正当化するために認知能力が動員されるプロセスを指す。

  • 確証バイアス: 自説を支持する情報は無批判に受け入れる一方、反証となる情報は過剰に厳格な基準で精査し、棄却する14
  • 知性のパラドックス: 一般に「知識があれば偏見は減る」と考えられがちだが、研究によれば、政治的知識が豊富な人や認知能力が高い人ほど、動機づけられた推論を巧みに行う傾向がある14。彼らは高い知能を使って、不都合な事実を合理化する「言い訳」を構築することに長けているため、結果として意見の二極化が深まる。

2.3 反応的価値低減(Reactive Devaluation)

部族主義的な心理メカニズムの典型例として、「反応的価値低減」が挙げられる。これは、「提案の内容」ではなく、「誰が提案したか」に基づいて評価が逆転する現象である16

  • 実験事例: 2003年のコーエン(Cohen)の研究では、リベラルな大学生に対し、非常に寛大な福祉政策を提示した。
    • その政策が「民主党の提案」だと説明された場合:強い支持
    • 全く同じ政策が「共和党の提案」だと説明された場合:支持せず
  • トランプ対オバマの事例: ある高校の卒業式代表者が「政治に参加し、席を勝ち取れ」という引用をトランプの発言として紹介したところ歓声が上がったが、それが実はオバマの発言だと訂正すると、歓声はブーイングに変わった16

このように、人々は政策の内容(Instrumentalな価値)よりも、それが自らの部族のシンボルと一致するかどうか(Expressiveな価値)を重視する。これは、進化心理学者トゥービー(Tooby)らが指摘する「党派的本能(Coalitional Instincts)」の発露である17。人類の進化史において、真実を追求することよりも、部族のコンセンサスに同調し、裏切り者とみなされないことの方が生存適応的であったため、我々の脳は事実よりも「敵味方の識別」を優先するように配線されているのである18

第3章 統制の錯覚と代償的統制:不確実性への処方箋としてのイデオロギー

人々が意見を変えない理由の深層には、快楽や帰属意識だけでなく、「恐怖」と「不安」への対処メカニズムが存在する。世界は複雑で予測不可能であり、そのカオスに対する心理的な防波堤として、政治的イデオロギーが機能している。

3.1 代償的統制理論(Compensatory Control Theory)

アーロン・ケイ(Aaron Kay)らが提唱する代償的統制理論によれば、人間は「自分の人生や環境を自分でコントロールできている」という感覚(個人的統制感)を基本的欲求として持っている20。しかし、経済危機、自然災害、あるいはテロのような出来事によってこの個人的統制感が脅かされると、人々は不安を解消するために、外部の強力なシステムに「代償的」な統制を求めるようになる。

  • 外部ソースへの依存: 統制感が低下した状態の被験者は、より介入的な神(Interventionist God)や、強力な政府、厳格な階層構造を支持する傾向が強まることが実験で示されている22
  • 秩序への渇望: 政治的イデオロギー、特に明確な善悪の基準や強力なリーダーシップを掲げるイデオロギーは、世界に秩序と予測可能性を与えるため、不確実性の高い時代において魅力的な「避難所」となる。

意見を変えること、あるいは自説の曖昧さを認めることは、回復したはずの統制感を再び揺るがし、世界をランダムでカオスな場所に戻してしまうリスクを伴う。したがって、人々は心理的な安定を保つために、既存のイデオロギーに固執し続けるのである24

3.2 システム正当化理論(System Justification Theory)

関連して、ジョスト(Jost)らが提唱するシステム正当化理論は、人々が現状の社会システム(現状維持)を、たとえそれが自分にとって不利なものであっても、心理的に正当化し擁護する動機を持っていることを説明する25

  • 緩和機能(Palliative Function): 社会システムが公正で、正当で、安定的であると信じることは、実存的な不安や不確実性を軽減する効果がある26
  • 変革への抵抗: 現状を批判する意見や、システムの変化を促す主張は、この「心理的な鎮痛剤」の効果を弱める脅威として知覚される。そのため、人々は現状肯定的な意見に固執し、変化を訴える声を「危険な思想」として排除しようとする22

3.3 経済的不安と政治的過激化

実証研究においても、経済的な不安(Economic Insecurity)やリセッションは、政治的な極端さ(Extremism)と強い相関があることが示されている28。職を失うリスクや将来への見通しの欠如といった「統制感の喪失」は、複雑な現実を単純化して説明してくれるポピュリズムや過激なイデオロギーへの支持を高める。

過激な意見ほど、世界を単純な因果関係(例:「すべての悪は移民のせいだ」「すべての悪は富裕層のせいだ」)で説明し、強力な解決策を提示するため、代償的統制の源泉として機能しやすい30。一度その単純化された世界観による救済を得た脳は、複雑でニュアンスに富んだ現実(意見の修正が必要な状態)に戻ることを拒絶するのである。

第4章 怒りとアウトレイジ・インダストリー:ネガティブ感情の依存性

なぜ、政治的議論は穏やかな対話ではなく、怒りに満ちた罵り合いになりがちなのか。そしてなぜ、人々はその不快なはずの怒りに自ら飛び込んでいくのか。

4.1 怒りのアプローチ動機づけとリスク選好

心理学的に「怒り(Anger)」は特異な感情である。恐怖や不安といった他のネガティブ感情が「回避(Avoidance)」行動を促すのに対し、怒りは「接近(Approach)」動機づけに関連している32。怒りは、脅威の源に対峙し、攻撃し、排除しようとするエネルギーを動員する。

  • リスク選好の変容: ワシントン大学の研究によれば、テロなどの脅威に対して恐怖を感じている人よりも、怒りを感じている人の方が、リスクを過小評価し、攻撃的な軍事行動や極端な政策を支持する傾向が強まることがわかっている32
  • 脳内報酬: さらに、道徳的怒り(Moral Outrage)の表出は、脳内の報酬系を活性化させることが示唆されている34。不正に対して怒りを表明することは、自分が道徳的に優位であることを確認し、集団内でのステータスを高める機能を持っているため、脳にとっては「快感」を伴う行為となり得る。これが「怒り依存症」の生理学的基盤である。

4.2 アウトレイジ・インダストリーとドーパミン・ループ

現代のメディア環境、特にソーシャルメディアは、この人間の心理的傾向をハッキングし、増幅させる構造を持っている。これを「アウトレイジ・インダストリー(激怒産業)」と呼ぶ34

  • 対立効果(Confrontation Effect): テュレーン大学の研究では、人々は自分の信念と一致するコンテンツよりも、自分の信念に挑戦する(怒りを誘発する)反対意見のコンテンツに対して、より強く反応し、コメントする傾向があることが示された36
  • アルゴリズムの共犯: プラットフォームのアルゴリズムは、「エンゲージメントが高い=価値がある」と判断するため、ユーザーを怒らせるコンテンツを優先的に表示するようになる。これにより、ユーザーは「怒り→投稿(報復)→反応(報酬)→更なる怒り」というドーパミン駆動のフィードバックループに閉じ込められる34

4.3 カタルシス仮説の誤謬と「反芻」

多くの人々は、怒りを「吐き出す(Venting)」ことでスッキリする(カタルシスが得られる)と信じて、ネット上の議論に参加する。しかし、心理学的な研究はこの直感を完全に否定している。

  • カタルシス効果の否定: ブラッド・ブッシュマン(Brad Bushman)らの有名な実験では、怒りを感じている被験者がサンドバッグを叩いて発散しようとすると、何もしないで静かにしていた被験者よりも、その後の攻撃性が高まることが示された38
  • 反芻(Rumination): 怒りを言葉にして発信することは、その感情を脳内でリハーサルし、記憶に定着させる「反芻」プロセスとなる40。SNSで怒りの長文を投稿することは、ストレス解消になるどころか、血圧を上げ、怒りを持続させ、攻撃的なスクリプトを強化する行為なのである41

議論に熱中する人々は、「言いたいことを言ってスッキリしたい」と思って参加するが、実際には脳の仕組みによって、言えば言うほど怒りが増幅し、引くに引けない状態(固執)に陥っているのである。

第5章 加齢と政治的硬直性:高齢者はなぜ変わらないのか

政治的意見の不変性や、特定の情報への固執において、年齢要因は無視できない要素である。特に高齢者層における高い投票率と、一部で見られる過激な情報の拡散傾向は、加齢に伴う心理的・認知的変化と密接に関連している。

5.1 社会情動的選択性理論(SST)のパラドックス

ローラ・カーステンセン(Laura Carstensen)が提唱した社会情動的選択性理論(Socioemotional Selectivity Theory: SST)は、加齢に伴う動機づけの変化を説明する主要な理論である43。この理論によれば、若年層は未来が無限にあると感じるため「知識の獲得」や「新規開拓」を優先するが、高齢者は残された時間の有限性を意識するため、「現在の情緒的満足」や「意味のある人間関係」を優先するようになる。

通常、この理論は高齢者がネガティブな情報を避け、ポジティブな情報を好む「ポジティビティ効果」の説明に使われる46。しかし、現実には多くの高齢者が怒りを誘発する政治番組(ケーブルニュースなど)を視聴し、フェイクニュースをシェアする傾向がある48

この矛盾は、高齢者にとっての「情緒的満足」の定義を再考することで解消される。もし、自身の政治的アイデンティティを確認し、長年信じてきた価値観が正しいと再確認することが「情緒的安定」をもたらすのであれば、高齢者はその目的のために、対立する意見を攻撃することを厭わない50。つまり、頑固に意見を変えないことは、認知的な柔軟性の欠如というよりも、限られた時間の中で精神的な安定(アイデンティティの防衛)を最優先するという、SSTに基づいた合理的な戦略の結果である可能性がある。

5.2 認知機能の低下と党派的ヒューリスティック

加齢に伴う前頭前野の機能低下や記憶力の減退は、情報のソース(どこからの情報か)を記憶する能力(ソースモニタリング)を低下させる一方で、自分にとって馴染みのある情報を真実だと感じる「流暢性(Fluency)」への依存を高める52

  • 党派的ヒューリスティックへの依存: 複雑な政策論争を一つ一つ検証する認知的コストが高まるため、高齢者は「党派性(Partisanship)」という強力なヒューリスティック(近道)に頼るようになる。「私の党が言っているから正しい」「敵の党が言っているから嘘だ」という判断基準は、認知的負荷が低く、即座に結論を出せる53
  • 整合性の喪失: コロラド大学の研究によれば、高齢者は若年層に比べて、自分の党派に有利なフェイクニュースをシェアする傾向が強い48。さらに、認知機能が低下した高齢者においては、具体的な政策選好(個別のイシューへの賛否)と支持政党のイデオロギー的整合性が取れなくなっても、「私は共和党だ」「私は民主党だ」というアイデンティティのラベルだけは強固に維持されることが確認されている53

5.3 ジェネラティビティ(世代継承性)の歪み

エリクソンの発達段階説において、中年期以降の主要課題は「ジェネラティビティ(Generativity: 次世代への貢献)」である43。高齢者が政治に熱心になる背景には、「正しい社会を次世代に残さなければならない」という真摯な使命感がある。

しかし、この使命感が強い党派的アイデンティティや、前述の「アウトレイジ・インダストリー」によって歪められると、「誤った思想を持つ敵から国を守ることこそが、次世代への最大の贈り物である」という確信に変わる。この「道徳的義務感」が加わることで、意見の固執は単なる頑固さではなく、崇高な戦いへと昇華され、いかなる説得も受け付けない強固な要塞となる57

第6章 政治的ホビイズムとシグナリング:娯楽としての「戦い」

最後に、多くの現代人にとって、政治的議論が実利的な目的から乖離し、一種の消費活動、あるいはスポーツ観戦化している現状を分析する。

6.1 政治的ホビイズム(Political Hobbyism)

タフツ大学の政治学者エイタン・ハーシュ(Eitan Hersh)は、多くの高学歴で政治に関心が高い人々が、実際の権力を行使する活動(地域の組織化、地方議会への参加、対話による説得など)には従事せず、ニュースを消費し、SNSで意見を表明することだけに時間を費やしている現象を「政治的ホビイズム」と名付けた58

  • スポーツ観戦との類似: ホビイストにとっての政治は、プロスポーツ観戦に近い。自分のチーム(政党)を応援し、敵チームを罵り、詳細なスタッツ(世論調査やスキャンダル)を分析することに知的興奮(Entertainment Value)を覚える61
  • 変化の不在: スポーツファンがテレビの前で叫んでも試合結果が変わらないのと同様に、ホビイストの活動(SNSでの論破やニュースのシェア)は、現実の政策変更や権力構造の変化にはほとんど寄与しない。それにもかかわらず彼らが熱中するのは、それが「知的なエンターテインメント」として、また「高尚な市民としてのアイデンティティ」を満たす活動として機能しているからである58

6.2 道徳的グランドスタンディングとシグナリング理論

SNS上での激しい政治的発言の多くは、「道徳的グランドスタンディング(Moral Grandstanding: 道徳的自己顕示)」として説明できる63。これは、自分の道徳的資質(いかに自分が公正で、差別に反対し、あるいは愛国的であるか)を聴衆にアピールし、社会的ステータスを獲得するために行われる公的な言説である。

  • コストのかかるシグナル: 進化生物学におけるシグナリング理論(Signaling Theory)によれば、信頼性の高いシグナルとは「コストのかかる」ものでなければならない(例:ガゼルのストッティング、クジャクの羽)65
  • 過激化のインセンティブ: 政治的議論において、穏健で妥協的な態度は「コストが低い(誰でもできる)」ため、強いシグナルにならない。一方で、過激な意見や強い怒りを表明し、他者との摩擦という社会的コストを払うことは、内集団に対して「私はこれほどまでに我々の規範にコミットしている」という強力な忠誠心の証明となる67

意見を変えること(妥協)は、このシグナリング競争においては「弱さ」や「不誠実さ」の露呈となり、集団内でのステータス低下を招く。したがって、議論が過激化し、譲歩が不可能になるのは、参加者が「正解」を探しているからではなく、互いに「忠誠心」を競い合っているゲームの構造的帰結なのである。


結論:不変性のメカニズムとその先へ

本分析により、「なぜ人は自分の意見で変わらないことに一生懸命になるのか?」という問いに対する答えが、単一の要因ではなく、多層的で強固な防衛システムによるものであることが明らかになった。

  1. 生物学的報酬: 意見を言うこと自体が脳にとっての「ご褒美(ドーパミン)」であり、自己開示はそれ自体が目的化している。
  2. アイデンティティの融合: 政治的意見は自己概念の一部となっており、意見の変更は「自己の死」に等しい苦痛を伴う。
  3. 実存的不安の管理: 不確実な世界において、強固な信念やシステムへの信奉は、心の安定(統制感)を保つための命綱である。
  4. 感情的依存: 怒りは行動を促す強力なエネルギーであり、メディア環境によって増幅・反芻されることで依存性を帯びる。
  5. 社会的ゲーム: 議論は真理の探究ではなく、忠誠心のシグナリングや知的エンターテインメント(ホビイズム)として機能している。

今後の展望とコミュニケーションへの示唆

この絶望的とも言える「認知の要塞」を前に、我々はどうすべきか。前回のテーマ「プレゼンを科学する」からの連続性で言えば、真に人を動かすプレゼンテーションやコミュニケーションとは、単に論理的な情報を提示することではない。

  • 「北風と太陽」の科学: 相手のアイデンティティを脅かす「論破」は、動機づけられた推論の壁を高くするだけである(バックファイア効果)。有効なのは、相手の統制感や自尊心(ドーパミン源)を損なわない形での対話、すなわち「共通の価値観」や「ナラティブ」の共有である。
  • 自己認識(メタ認知): 我々自身が感じる「正義の怒り」や「論破したい衝動」に対して、メタ認知的な視点を持つことが不可欠である。「今、私が怒っているのは社会のためか、それとも脳内のドーパミン報酬を求めているだけか?」この問いを自らに投げかけることが、不毛な分断から脱却し、建設的な議論を取り戻すための第一歩となるだろう。

引用文献

  1. The Formation of Political Preferences (Chapter 5) – Following Their Leaders, https://www.cambridge.org/core/books/following-their-leaders/formation-of-political-preferences/55BFA523FB8E75E631CD40CA5EBD1CE6
  2. Fake News Shared by Very Few, But Those Over 65 More Likely to Pass on Such Stories, New Study Finds | Princeton School of Public and International Affairs, https://spia.princeton.edu/news/fake-news-shared-very-few-those-over-65-more-likely-pass-such-stories-new-study-finds
  3. Disclosing information about the self is intrinsically rewarding – PMC – NIH, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3361411/
  4. Disclosing information about the self is intrinsically rewarding – PNAS, https://www.pnas.org/doi/abs/10.1073/pnas.1202129109
  5. Mesolimbic Functional Magnetic Resonance Imaging Activations during Reward Anticipation Correlate with Reward-Related Ventral Striatal Dopamine Release | Journal of Neuroscience, https://www.jneurosci.org/content/28/52/14311
  6. Using fMRI to study reward processing in humans: past, present, and future – PMC, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4808130/
  7. Two Egocentric Sources of the Decision to Vote: The Voter’s Illusion and the Belief in Personal Relevance – Brown University, http://files.clps.brown.edu/jkrueger/journal_articles/acevedo-2004-twoegocentric.pdf
  8. ‘Rational’ Theories of Voter Turnout: A Review, http://sa.uh.edu/hobby/eitm/_docs/past-lectures/2014-lectures/jeremy-gilmore/rational-theories-of-voter-turnout.pdf
  9. Instrumental and Expressive Voting (Chapter 2) – Following Their Leaders, https://www.cambridge.org/core/books/following-their-leaders/instrumental-and-expressive-voting/7D886F8DB0B16FD3024FE97C74FFFE3E
  10. Tribal Psychology and Political Behavior – Econlib, https://www.econlib.org/library/Columns/y2018/KlingMason.html
  11. The Political Divide in America Goes Beyond Polarization and Tribalism – Kellogg Insight, https://insight.kellogg.northwestern.edu/article/political-divide-america-beyond-polarization-tribalism-secularism
  12. One Tribe to Bind Them All: How Our Social Group Attachments Strengthen Partisanship, https://iop.pitt.edu/sites/default/files/Elected_Officials_Retreat/2018/Mason_et_al-2018-Political_Psychology.pdf
  13. The Effects of Ideological and Ethnoracial Identity on Political (Mis)Information – PMC – NIH, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8643655/
  14. How confirmation bias stops us solving problems | BIT – Behavioural Insights Team, https://www.bi.team/blogs/how-confirmation-bias-stops-us-solving-problems/
  15. Partisan Bias in Political Judgment – Annual Reviews, https://www.annualreviews.org/content/journals/10.1146/annurev-psych-030424-122723?crawler=true&mimetype=application/pdf
  16. Tribalism in Politics | Psychology Today, https://www.psychologytoday.com/us/blog/bias-fundamentals/201806/tribalism-in-politics
  17. Coalitional Instincts – Edge.org, https://www.edge.org/conversation/john_tooby-coalitional-instincts
  18. States in Mind: Evolution, Coalitional Psychology, and International Politics – Belfer Center, https://www.belfercenter.org/publication/states-mind-evolution-coalitional-psychology-and-international-politics
  19. The Evolution of Tribalism: A Social-Ecological Model of Cooperation and Inter-Group Conflict Under Pastoralism – JASSS, https://www.jasss.org/22/2/6.html
  20. Full article: Compensatory control and religious beliefs: a registered replication report across two countries, https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/23743603.2019.1684821
  21. https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/23743603.2019.1684821#:~:text=Compensatory%20Control%20Theory%20(CCT)%20suggests,existence%20of%20a%20controlling%20God.
  22. Compensatory Control, https://rcgd.isr.umich.edu/wp-content/uploads/2018/08/Kayetal_2009.pdf
  23. Distinguishing compensatory control from uncertainty m – LEMMA Lab, https://lemmalab.com/wp-content/uploads/2017/01/Shepherd_compensatory-control_JESP-2011.pdf
  24. Full article: Let’s take back control: Disentangling and integrating group-based and certainty-based social responses to threatened personal control – Taylor & Francis Online, https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/10463283.2025.2509465
  25. Refining the Boundary Conditions of System Justification Theory: Extending our Understanding of How and Why People Justify Sociopolitical – UQ eSpace – The University of Queensland, https://espace.library.uq.edu.au/view/UQ:387769/s4096591_final_thesis.pdf?dsi_version=42740e2e0690993ef55a1e60fcc4d769
  26. System justification theory – Wikipedia, https://en.wikipedia.org/wiki/System_justification_theory
  27. A quarter century of system justification theory: Questions, answers, criticisms, and societal applications – NYU Arts & Science, https://as.nyu.edu/content/dam/nyu-as/psychology/documents/facultypublications/johnjost/A%20Quarter%20Century%20of%20System%20Justification%20Theory.pdf
  28. https://www.researchgate.net/publication/228276534_Economic_Growth_and_the_Rise_of_Political_Extremism_Theory_and_Evidence#:~:text=Historically%2C%20recessions%20or%20periods%20of,%3B%20Bruckner%20and%20Gr%C3%BCner%202010)%20.
  29. Economic insecurity and political preferences – Oxford Academic, https://academic.oup.com/oep/article/75/3/802/6693580
  30. Political Extremism (Chapter 26) – The Cambridge Handbook of Political Psychology, https://www.cambridge.org/core/books/cambridge-handbook-of-political-psychology/political-extremism/8A4DD283393A9EA13792DEBBEE6D4A09
  31. Psychological Mechanisms Involved in Radicalization and Extremism. A Rational Emotive Behavioral Conceptualization – Frontiers, https://www.frontiersin.org/journals/psychology/articles/10.3389/fpsyg.2019.00437/full
  32. Research shows anger, not fear, shifts political beliefs – The Source – WashU, https://source.washu.edu/2025/10/research-shows-anger-not-fear-shifts-political-beliefs/
  33. Anger and Political Conflict Dynamics | American Political Science Review | Cambridge Core, https://www.cambridge.org/core/journals/american-political-science-review/article/anger-and-political-conflict-dynamics/BF4D85FA7277BAB4DE1E85073D2655D6
  34. The Outrage Machine: How Social Media Weaponized Anger and Shattered Trust, https://www.thebrink.me/the-outrage-machine-how-social-media-weaponized-anger-and-shattered-trust/
  35. Moral outrage overload? How social media may be changing our brains – JHU Hub, https://hub.jhu.edu/2019/09/25/molly-crockett-social-media-outrage/
  36. Rage clicks: Study shows how political outrage fuels social media engagement – News, https://news.tulane.edu/pr/rage-clicks-study-shows-how-political-outrage-fuels-social-media-engagement
  37. Political Stress Disorder & Outrage Addiction | WGCU PBS & NPR for Southwest Florida, https://www.wgcu.org/show/gulf-coast-life/2021-01-19/political-stress-disorder-outrage-addiction
  38. Angry? Breathing Beats Venting | University of Arkansas, https://news.uark.edu/articles/8933/angry-breathing-beats-venting
  39. Four Questions on the Catharsis Myth with Dr. Brad Bushman – Dr. Ryan Martin, https://alltheragescience.com/commentary/four-questions-on-the-catharsis-myth-with-dr-brad-bushman/
  40. A study of the relationships between rumination, anger rumination, aggressive script rehearsal, and aggressive behavior in a sample of incarcerated adult males – NIH, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9541888/
  41. The Dangers of Venting When You’re Upset | American Enterprise Institute – AEI, https://www.aei.org/op-eds/the-dangers-of-venting-when-youre-upset/
  42. Internet Ranting and the Myth of Catharsis – Psychology Today, https://www.psychologytoday.com/us/blog/unique-everybody-else/201303/internet-ranting-and-the-myth-catharsis
  43. Generativity as a Route to Active Ageing – PMC – PubMed Central – NIH, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3420221/
  44. Full article: Generativity across adulthood: how nature exposure and future time perspective shape motivation for social and ecological engagement, https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/00049530.2024.2428306
  45. Socioemotional Selectivity Theory: The Role of Perceived Endings in Human Motivation, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8599276/
  46. Beyond stereotypes: Using socioemotional selectivity theory to improve messaging to older adults – PMC – NIH, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8340497/
  47. The positivity effect: a negativity bias in youth fades with age – PMC – NIH, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6186441/
  48. Older adults share more political misinformation. Here’s why. – EurekAlert!, https://www.eurekalert.org/news-releases/1104960
  49. Older adults share more political misinformation. Here’s why | CU Boulder Today, https://www.colorado.edu/today/2025/11/05/older-adults-share-more-political-misinformation-heres-why
  50. Age differences in preferences through the lens of socioemotional selectivity theory, https://www.researchgate.net/publication/366687763_Age_differences_in_preferences_through_the_lens_of_socioemotional_selectivity_theory
  51. Younger Americans are less politically polarized than older Americans about climate policies (but not about other policy domains) – NIH, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11095675/
  52. Aging in an Era of Fake News – PMC – NIH, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7505057/
  53. Cognition and Political Ideology in Aging – PubMed – NIH, https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/33128770/
  54. Cognitive decline distorts political choices, UCI-led study says, https://news.uci.edu/2020/10/29/cognitive-decline-distorts-political-choices-uci-led-study-says/
  55. Generativity vs. Stagnation in Middle Adulthood – Verywell Health, https://www.verywellhealth.com/generativity-vs-stagnation-7550473
  56. Generativity vs. Stagnation in Psychosocial Development – Verywell Mind, https://www.verywellmind.com/generativity-versus-stagnation-2795734
  57. Targets of Altruism by Political Orientation and Overall | Download Table – ResearchGate, https://www.researchgate.net/figure/Targets-of-Altruism-by-Political-Orientation-and-Overall_tbl1_28172931
  58. Are you a “political hobbyist?” If so, you’re the problem. – Apple Podcasts, https://podcasts.apple.com/us/podcast/are-you-a-political-hobbyist-if-so-youre-the-problem/id1081584611?i=1000467838188
  59. Political Hobbyism: A Theory of Mass Behavior – Eitan Hersh, https://www.eitanhersh.com/uploads/7/9/7/5/7975685/hersh_theory_of_hobbyism_v2.0.pdf
  60. Eitan Hersh on the Perils of Political Hobbyism | The Good Fight with Yascha Mounk, https://www.youtube.com/watch?v=AZXb7F0ansM
  61. Full article: Politicians as entertainers – a political performance of the personal, https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/10304312.2020.1793911
  62. The American Viewer: Political Consequences of Entertainment Media | American Political Science Review | Cambridge Core, https://www.cambridge.org/core/journals/american-political-science-review/article/american-viewer-political-consequences-of-entertainment-media/A0BADA28D5C551DE4EEBDAAAE33B76E8
  63. Moral grandstanding, narcissism, and self-reported responses to the COVID-19 crisis – PMC, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8756259/
  64. MORAL GRANDSTANDING AS A THREAT TO FREE EXPRESSION | Social Philosophy and Policy – Cambridge University Press, https://www.cambridge.org/core/journals/social-philosophy-and-policy/article/moral-grandstanding-as-a-threat-to-free-expression/228A112D0DA0DAB75947C95DEB48CB21
  65. Signaling Theory, Strategic Interaction, and Symbolic Capital1 | Current Anthropology, https://www.journals.uchicago.edu/doi/full/10.1086/427115?mobileUi=0
  66. Signalling theory – Wikipedia, https://en.wikipedia.org/wiki/Signalling_theory
  67. Moral Grandstanding and Virtue Signaling: The Same Thing? – Psychology Today, https://www.psychologytoday.com/us/blog/moral-talk/202008/moral-grandstanding-and-virtue-signaling-the-same-thing
  68. A Compensatory Control Account of Meritocracy – Journal of Social and Political Psychology, https://jspp.psychopen.eu/index.php/jspp/article/view/4795/4795.html
  69. What is Catharsis? – Palo Alto University, https://paloaltou.edu/resources/business-of-practice-blog/what-is-catharsis

関連記事

TOP