脳科学に学ぶ

会議室のIBS(脳間同期)を測定せよ:『伝わる』の新しいKPI

「伝わったつもり」で満足していませんか?
最新の脳科学は、コミュニケーションの成否が主観的な「仲の良さ」ではなく、客観的な「脳間同期(IBS)」で測定可能であることを示しています。本記事では、二者の脳が共鳴する「ツー・イン・ワン」システム仮説を紐解き、論理的理解を支えるベータ波や、深い共感を生むガンマ波のメカニズムを詳説。日立ハイテクやNeUの実装事例も交え、会議室の「空気」を科学的なKPIとして可視化し、エンジニアリングするための新たなフロンティアをご案内します。

序論:コミュニケーションの科学における「コペルニクス的転回」

「伝わった」という感覚は、これまであまりにも曖昧で、主観的な領域に留め置かれてきた。ビジネスの現場において、我々は会議の成功を「活発な議論が交わされた」や「参加者の顔色が良かった」といった定性的な印象、あるいは事後のアンケートによる自己申告によって評価することに慣れきっている。しかし、ブログ『伝わるを科学する』が追求する地平において、これらの指標はもはや不十分であると言わざるを得ない。なぜなら、主観的な「伝わったつもり」と、神経科学的なレベルでの「情報の共有・共鳴」の間には、しばしば埋めがたい乖離が存在することが、近年の研究によって明らかになりつつあるからだ。

本レポートでは、従来の「送信者(Sender)」と「受信者(Receiver)」を個別のブラックボックスとして扱う古典的な通信モデルを脱却し、二者の脳が不可分なシステムとして機能する「ツー・イン・ワン(Two-in-One)」システムとしてのコミュニケーションを解明する。その鍵となる概念が、脳間同期(Inter-Brain Synchrony: IBS)である。

IBSとは、社会的相互作用を行っている複数の個人の間で、神経活動の時間的なアライメント(整列)が生じる現象を指す 1。これは単なるメタファーではない。ハイパースキャニング(複数人同時脳計測)技術の飛躍的な進歩により、我々は今、会議室の空気、阿吽の呼吸、あるいは「腹落ち」した瞬間を、ヘルツ(Hz)や位相コヒーレンスといった物理量として測定可能な時代に足を踏み入れている 3

本稿の目的は、IBSの基礎理論から、ベータ波やガンマ波といった特定の脳波帯域が担うコミュニケーションの質的差異、さらには日立ハイテクやNeU(ニュー)といった企業によるウェアラブル計測の実装事例までを網羅的に調査し、IBSを次世代のビジネスKPIとして定義することにある。15,000語に及ぶこの包括的な分析を通じて、読者は「伝わる」という現象の神経学的実体を目撃することになるだろう。


第1章:「二人称の脳科学」へのパラダイムシフトと基礎理論

1.1 孤立した脳から「接続された脳」へ

20世紀の脳科学は、本質的に「一人称の科学」であった。被験者は薄暗いfMRIのスキャナーの中に一人で横たわり、スクリーンに映し出される写真や音声に対して受動的に反応する際の脳活動が記録された 3。このアプローチは、知覚や記憶といった個人の認知プロセスを解明する上では多大な成果を上げたが、人間の最も基本的かつ重要な営みである「社会的相互作用」を捉えることには失敗していた。なぜなら、コミュニケーションとは本質的に動的で、予測不可能な双方向のプロセスであり、孤立した脳の活動の総和には還元できない創発的な現象を含んでいるからである 4

この限界を突破したのが、「ハイパースキャニング(Hyperscanning)」と呼ばれる革命的な手法である。2002年、Montagueらが提唱したこの技術は、物理的に離れた場所にいる二人の被験者の脳活動をfMRIで同時に計測し、その相互作用を解析することを可能にした 3。これにより、社会神経科学(Social Neuroscience)は静的な観察から動的な相互作用の解明へと舵を切り、「二人称の脳科学(Second-person Neuroscience)」という新たな領域を切り拓いた 3

1.2 「ツー・イン・ワン(Two-in-One)」システム仮説

日本の研究者である小池耕彦氏や定藤規弘氏(自然科学研究機構生理学研究所)らは、このハイパースキャニング研究において世界をリードする成果を挙げている。彼らが提唱する「ツー・イン・ワン(Two-in-One)」システム仮説は、社会的相互作用において、二つの個別の脳が機能的に統合され、あたかも一つのシステムのように振る舞う状態を指す 7

この仮説の核心は、相互作用中の脳活動が、単独で同じタスクを行っているとき(擬似ペア)とは根本的に異なるネットワークを形成するという点にある。例えば、相互に見つめ合う(Joint Attention)タスクにおいて、右背外側前頭前野(dlPFC)と右側頭頭頂接合部(TPJ)の間で強い脳間同期(Brain-to-Brain Synchrony)が確認されるが、これは単に同じ視覚刺激を見ているだけでは生じない 7

特徴一人称の脳科学(Single-Brain)二人称の脳科学(Multi-Brain)
計測対象孤立した個人の刺激反応相互作用する複数人の動的結合
主な手法従来のfMRI, EEGハイパースキャニング (EEG, fNIRS, fMRI)
捉える現象知覚、記憶、運動制御脳間同期 (IBS)、共同注意、共感
コミュニケーション観送信と受信の独立プロセス相互予測と神経カップリングの創発
代表的研究者Frith, Decetyなど小池耕彦, 定藤規弘, Dumas, Feldmanなど

1.3 IBSの発生メカニズム:なぜ他人の脳と同期するのか?

IBSは超自然的な現象ではなく、生物学的なメカニズムに裏打ちされている。現在の研究では、以下の3つの主要なルートを通じて同期が発生すると考えられている 1

  1. 知覚的カップリング(Perceptual Coupling):最も基礎的な同期であり、同じ環境刺激(例:会議室の照明、プロジェクターの映像、スピーカーの声)を共有することで、視覚野や聴覚野といった感覚皮質が同時に発火する現象である。これは「ボトムアップ」の同期とも呼ばれ、情報の入力レベルでの共有を意味する。しかし、これだけでは「伝わった」とは言えない。同じ映画を見ている観客全員の脳波は同期するが、彼らが相互にコミュニケーションを取っているわけではないからだ。
  2. 行動的エントレインメント(Behavioral Entrainment):会話のリズム、発話のターン・テイク(交代)、頷き、表情の模倣(ミミックリー)など、相互の身体的動作が同期することで、運動野や感覚運動野の脳波が同調する 10。これは「リズムの共有」であり、スムーズな会議進行の基盤となる。
  3. 高次認知プロセスの共有(Shared High-level Cognition):IBS研究において最も重要視されるのが、この「トップダウン」の同期である。これは、相手の意図を推測する(メンタライジング)、文脈を共有する、未来を予測するといった高次の認知活動が同期することによって生じる 1。特に前頭前野(PFC)や側頭頭頂接合部(TPJ)における同期は、単なる刺激の共有を超えた「意味の共有」を示唆しており、これが本レポートの主題である「伝わる」の神経学的実体である可能性が高い。

第2章:周波数帯域が語るコミュニケーションの「質」と「深さ」

IBSをKPIとして活用するためには、「同期しているか否か」という二元論ではなく、「どの周波数帯域で同期しているか」という質的な分析が不可欠である。脳波は様々な周波数成分を含んでおり、それぞれが異なる認知・情動プロセスを反映している。本章では、特に「ベータ波」と「ガンマ波」に焦点を当て、それぞれの同期がビジネスコミュニケーションにおいて何を意味するのかを詳述する。

2.1 ベータ波(13-30 Hz):関係性の維持と認知的共感の「接着剤」

ベータ波は、一般的に覚醒状態、能動的な思考、注意の維持、および運動制御に関連する周波数帯域である 12。IBSの文脈において、ベータ波の同期は、長期的な関係性の維持や、安定したコミュニケーションの継続を支える「認知的接着剤」としての機能を果たしていることが示唆されている。

2.1.1 「つながり続ける」ための同期

Feldmanらの研究チームによる一連の調査は、ベータ波の社会的機能を鮮やかに描き出している。彼らの研究によれば、ロマンチックなカップルや親しい友人の間でのコミュニケーションにおいて、ベータ波(特に14-30 Hz)の脳間同期が有意に高まることが確認された 13。

特筆すべきは、母親と子供(思春期前期)のペアを対象とした実験である。対面(Face-to-Face)での相互作用において、母子の右前頭葉を中心とした広範なネットワークでベータ波の同期が観測された。この同期は、母親が子供の情動を調整し、会話をリードする際の神経基盤となっていると考えられている 14。

2.1.2 リモート会議の「伝わらなさ」とベータ波の減衰

現代のビジネス環境において極めて重要な発見は、このベータ波同期が「物理的な共存(Co-presence)」に強く依存しているという事実である。同研究チームがZoomのようなビデオ会議システムを介した相互作用を計測したところ、対面時と比較してベータ波の脳間同期が劇的に減衰することが判明した 14。

画面越しでは、視線の微細な動きや呼吸のリズムといった非言語情報が欠落し、脳が「相手がそこにいる」という確信(実在感)を持ちにくくなる。その結果、関係性を維持するための神経カップリングが弱まり、これが主観的な「Zoom疲れ」や「伝わらないもどかしさ」として現れるのである。つまり、ベータ波同期の強度は、オンライン会議におけるエンゲージメントの欠如を警告するKPIとして機能しうる。

2.1.3 認知的共感とトップダウンの予測

ベータ波は「認知的共感(Cognitive Empathy)」、すなわち相手の視点や意図を理知的に理解し、次に何が来るかを予測するプロセスとも深く関連している 15。Dumasらの研究では、模倣課題(相手の手の動きを真似る)においてベータ波の同期が見られたことから、これが運動のシミュレーションと予測に関与していることが示されている 11。会議において、議論の文脈を理解し、相手の次の発言を予測しながら聞いているとき、参加者の脳内ではベータ波が同期していると考えられる。

2.2 ガンマ波(30 Hz+):情動的共鳴と「目」の力が生むバースト

ガンマ波は、脳波の中で最も周波数が高く、情報の統合(バインディング)、意識的な知覚、そして強烈な情動体験に関連している。IBSにおいて、ガンマ波はベータ波よりも瞬間的かつ局所的な「情動的共感(Emotional Empathy)」や「深い没入」の指標となる。

2.2.1 「目は口ほどに物を言う」の神経科学

ガンマ波同期の最大の特徴は、アイコンタクト(相互注視)に対する特異的な感受性である。研究によれば、二人が見つめ合った瞬間、前頭葉や側頭頭頂接合部においてガンマ帯域の同期がバースト的に発生する 16。

興味深いことに、この現象は関係性の深さによって変調される。見知らぬ者同士(Strangers)が見つめ合ってもガンマ同期は限定的だが、親しい友人やパートナー同士では有意に強く、持続的な同期が生じる 16。これは、親しい間柄では相手の微細な眼球運動(マイクロサッカード)や表情の癖を無意識に学習しており、その予測モデルが一致することで、神経発火のタイミング(位相)が精密に同期するためだと仮説立てられている 16。

2.2.2 情動共有の瞬間検知

痛みや喜びといった情動を共有する際、ガンマ波は「情動的共感」、つまり相手の感情を我がこととして感じるプロセスを反映する 15。会議室において、誰かの熱のこもったプレゼンテーションに参加者全員が息を呑み、感情的に揺さぶられた瞬間、そこにはガンマ波の同期ネットワークが形成されているはずである。これは、論理的な理解(ベータ波)を超えた、腹の底からの共感(ガンマ波)を測定する指標となりうる。

2.3 アルファ波(8-12 Hz)とシータ波(4-7 Hz):フローとリーダーシップ

2.3.1 リーダーシップの可視化

アルファ波は通常、リラックス時や安静時に出現するが、IBSにおいては「注意の制御」や「リーダーシップ」の動態を反映する。リーダーとフォロワーの役割が明確なタスク(例:教師と生徒、上司と部下)では、リーダーの脳からフォロワーの脳へと向かう方向性を持ったアルファ波同期が観測されることがある 1。これは、リーダーが場の「注意のリソース」を配分し、フォロワーがそれに同調している状態を示唆する。

2.3.2 チームフローの指標

チーム全体が高い集中力と幸福感を伴って課題に取り組む「チームフロー」の状態において、左側頭皮質でのベータ・ガンマ波パワーの増大に加え、情報の統合を示す指標としてアルファ・シータ波の同期も関与することが報告されている 18。特に創造的なタスクにおいて、自由な発想とリラックスした集中が共存する際、これらの低周波帯域での同期が重要な役割を果たす。

周波数帯域主な機能(個人)IBSとしての意味(KPI候補)ビジネスシーンの例
ガンマ波 (>30Hz)特徴結合、意識的知覚情動的共感、深い没入アイコンタクト、熱狂的な合意、ブレストの盛り上がり
ベータ波 (13-30Hz)覚醒、運動制御、集中認知的共感、関係維持、予測論理的な議論、リモート会議のエンゲージメント、指示理解
アルファ波 (8-12Hz)リラックス、抑制リーダーシップ、注意共有上司の訓示への同調、落ち着いた合意形成
シータ波 (4-7Hz)記憶、情動処理文脈共有、協調の安定性複雑な問題解決、チームフローの予兆

第3章:不可視を可視化する技術 — fNIRSとEEGの実装

理論がいかに精緻であっても、それを測定する技術がなければKPIとしては機能しない。かつては数億円のfMRIが必要だった脳計測も、現在ではポータブルなウェアラブルデバイスによって、会議室や作業現場での実施が可能になっている。ここでは、ビジネス現場でのIBS計測における二大巨頭であるfNIRSとEEGについて、その特性と適用範囲を比較検討する。

3.1 fNIRS(機能的近赤外分光法):ビジネス現場の「最適解」

現在、多くの企業や研究機関が実世界(Real-world)での計測に採用しているのがfNIRS(エフニルス)である。

  • 基本原理:近赤外光(650–1000 nm)は皮膚や頭蓋骨を透過しやすく、血液中のヘモグロビンに吸収される性質を持つ。fNIRSはこの性質を利用し、頭皮上から光を照射して、脳組織内の酸化ヘモグロビン(HbO)と脱酸化ヘモグロビン(HbR)の濃度変化を測定する 19。脳が活動すると、神経血管カップリング(Neurovascular Coupling)により局所的な酸素消費と血流増加が生じるため、これを捉えることで脳活動を推定する。
  • ビジネスにおける利点:
    1. 高い耐ノイズ性: EEGは筋肉の動き(瞬きや会話による顎の動き)による電気的ノイズ(アーチファクト)に弱いが、fNIRSは血流変化を見るため、電気的なノイズの影響を受けにくい。これにより、会議中の発話や身振り手振りが許容され、極めて「生態学的妥当性(Ecological Validity)」の高い計測が可能となる 19
    2. 装着の簡便さ: ジェルを頭に塗る必要がなく、帽子やバンド型のデバイスを装着するだけで済むため、被験者(従業員)の心理的・身体的負担が少ない。
    3. 空間分解能: 電極間の電位差を見るEEGよりも、活動部位の特定(空間分解能)において優れており、特に社会脳の中枢である前頭前野(PFC)の活動をピンポイントで測定するのに適している。
  • 限界:時間分解能が低い。血流変化は神経活動から数秒遅れて生じるため、ミリ秒単位の瞬間的な同期(例:発話のタイミング合わせ)を捉えるのは苦手である。しかし、「会議全体の流れ」や「共感の深まり」といった数秒〜数分単位のマクロな現象を捉えるには十分であり、KPIとしての安定性は高い。

3.2 EEG(脳波計):瞬間の「共鳴」を捉える

  • 基本原理:大脳皮質の錐体細胞などで発生するシナプス後電位の総和を、頭皮上の電極から電位差として記録する。
  • ビジネスにおける利点:圧倒的な時間分解能(ミリ秒単位)を持つ。前章で述べたベータ波やガンマ波といった特定の周波数帯域の位相同期(Phase Synchronization)を解析するためには、EEGが不可欠である 1。瞬間的な「アハ体験」や、マイクロ秒単位での無意識の同調を測定したい場合にはEEGが選ばれる。
  • 限界:ノイズに非常に弱い。会議中に話者が笑ったり、顔をしかめたりするだけで、筋電位が混入しデータが使い物にならなくなるリスクがある。ただし、近年はドライ電極や高度なノイズ除去アルゴリズムを搭載したウェアラブルEEGも登場しており、実用性は向上している。

3.3 日本企業の挑戦:NeUと日立ハイテク

日本は、このウェアラブル脳計測技術の社会実装において世界をリードする立場にある。

  • 株式会社NeU(ニュー):東北大学加齢医学研究所の川島隆太教授と日立ハイテクのジョイントベンチャーとして設立された。同社の「Ex-Brain(エクスブレイン)」は、重さ数グラム、世界最小・最軽量クラスのウェアラブルfNIRSデバイスである 22。
    • 特徴: 額に装着するだけで前頭前野の脳活動をリアルタイム計測。6軸加速度センサーを内蔵し、体動ノイズの補正を行うと同時に、身体活動量も記録する。
    • ビジネス展開: ストレスチェックや認知機能トレーニングに加え、熟練工(匠)の脳活動をモデル化して継承するソリューションや、チーム単位でのパフォーマンス計測への応用が進められている。
  • 日立ハイテク & Happiness Planet:日立製作所のフェローである矢野和男氏の研究に基づき、加速度センサーを用いた「身体運動の同期」から組織の幸福度や生産性を算出するアプローチをとる。厳密な脳計測ではないが、身体的同期(Behavioral Synchrony)はIBSと高い相関を持つことが知られており、より大規模な組織(数百人単位)での導入障壁が低いという利点がある 23。

第4章:実証研究が示す「主観」と「客観」の乖離

なぜ、高価な機材を導入してまでIBSを測定する必要があるのか? 従来の「事後アンケート」や「360度評価」では不十分なのか? 最新の実証研究は、我々の「主観的な感覚」がいかに当てにならないか、そしてIBSがいかに強力な「パフォーマンス予測因子」であるかを残酷なまでに示している。

4.1 アンケートは「チームの成功」を予測できない

2021年、Reineroらの研究チームは、チームワークにおける「主観」と「客観」の乖離について決定的な証拠を提示した 25

  • 実験設定: 174名の参加者を4人1組のチームに分け、一連の問題解決タスクを行わせながら、EEGハイパースキャニングを実施した。
  • 比較対象:
    1. 自己報告(Self-report): 参加者が感じた「チームへの一体感(Group Identification)」や「メンバーへの愛着」。
    2. IBS(脳間同期): タスク中の脳波のコヒーレンス(同期度)。
  • 結果:驚くべきことに、メンバーが報告した「私たちは仲が良い」「一体感がある」という主観的な評価は、実際のチームのパフォーマンス(パズルの正答率や課題解決の速さ)を全く予測しなかった。一方で、IBSの強度は、チームの集団的パフォーマンスを有意かつ強力に予測した。

この研究は、IBSがチームパフォーマンスの「暗黒物質(ダークマター)」であることを示唆している。つまり、表面的な仲の良さや、言葉による「頑張ります」という宣言の裏にある、意識化されない神経レベルでの協調こそが、成果を生み出す真のドライバーなのである。

4.2 戦闘機パイロットの訓練における証拠

さらに過酷な環境である軍事訓練においても、同様の結果が得られている。F-35シミュレータを用いた研究では、パイロットとナビゲーターのペアのパフォーマンスを評価する際、教官による観察評価よりも、EEGやアイトラッキングを用いたニューロメトリクスの方が、実際のミッション成功率と強く相関していた 26。

特に、タスクの難易度が上昇し、認知負荷が高まった際、人間による評価は限界を迎えるが、IBSや脳波データは負荷の増大とパフォーマンスの低下をリニアに反映し続けた。これは、ビジネスにおける危機管理や、高負荷なプロジェクトのモニタリングにおいて、IBSが極めて有効な「早期警戒システム」になり得ることを示している。

4.3 チームフローの可視化

Shehataらの研究では、チーム全体がフロー状態(Team Flow)にあるとき、個人のフロー状態とは異なる特異な脳活動パターンが出現することが確認された 18

  • 発見: チームフロー時には、左側頭皮質におけるベータ・ガンマ波のパワーが増大し、メンバー間の脳活動が高い同期を示す。
  • 意味: これは、会議が単に「静かに進んでいる」のか、全員が高い集中力を共有して「フローに入っている」のかを区別できることを意味する。管理者は、IBSモニターを見ることで、「今、チームはゾーンに入っているから邪魔をしてはいけない」と判断できるようになるかもしれない。

第5章:ビジネスKPIとしての実装 — 「伝わる」を数値化する

以上の理論と証拠に基づき、本レポートでは「伝わる」を測定するための具体的なKPIを提案する。これらは、従来の「会議時間」や「発言回数」といった表面的な指標に取って代わる、本質的なコミュニケーション指標である。

5.1 提案KPIセット

KPI名称定義・測定方法ビジネス上の意味・解釈
IBS深度指数 (Synch Depth)参加者全員の脳波(特定周波数)の位相コヒーレンスの平均値。「腹落ち度」。この数値が高いほど、情報の共有深度が深く、全員が同じコンテキストを理解している。
IBS持続率 (Sustain Rate)会議時間全体のうち、一定以上のIBS閾値を超えていた時間の割合。「エンゲージメントの質」。誰かが一方的に話して全員が上の空なら低下する。高いほど密度の濃い会議。
リーダー・フォロワー遅延 (L-F Lag)リーダーの脳活動変化に対するフォロワーの反応遅延時間(ミリ秒〜秒)。「組織の俊敏性」。遅延が短いほど、リーダーの意図が即座に伝わり、阿吽の呼吸で動けている。
ガンマ・バースト頻度 (Gamma Peaks)全員のガンマ波が同時に急上昇した回数。「共鳴モーメント」。素晴らしいアイデアが出た瞬間や、感動が共有された瞬間の回数。
認知負荷バランス (Load Balance)参加者間の前頭前野酸素消費量(HbO)のばらつき。「参加の公平性」。特定の人だけ負荷が高い(独演会)か、全員が等しく脳を使っているか(全員参加)を可視化。

5.2 導入シナリオ:株式会社NeUと日立ハイテクの活用

実際に企業がこれらのKPIを導入する場合、以下のようなステップが想定される。

  1. 現状の可視化(Baseline):NeUのEx-Brainや日立のウェアラブルセンサーを装着し、定例会議やプロジェクトワーク中のデータを1ヶ月間収集する。
  2. 相関分析:収集した脳データと、実際のビジネス成果(プロジェクトの進捗、売上、エラー発生率)との相関を分析し、自社にとって重要な「勝ちパターン」の脳活動(Role Brain)を特定する 27。
  3. リアルタイム・フィードバック:会議中にIBSスコアをモニターに表示し、「今、同期が落ちています」「フロー状態に入りました」といったフィードバックを行う。これにより、ファシリテーターは即座に介入(休憩を入れる、話題を変える)が可能になる。
  4. 採用・配置への応用:M&Aやチーム編成の際、特定のメンバー同士の「脳の相性(Neural Compatibility)」を事前計測し、IBSが高まりやすい組み合わせでチームを組成する 28。

第6章:倫理的課題とニューロ・プライバシー

IBSという強力なツールを手に入れた我々は、同時に重大な倫理的岐路に立たされている。「伝わる」を科学することは、裏を返せば「心の中を覗く」ことと同義になり得るからだ。

6.1 ニューロ・サーベイランス(脳監視)の脅威

職場での脳計測が常態化すれば、それは究極の監視社会「ニューロ・サーベイランス」へと変貌するリスクがある 29

  • 評価への悪用: 「君は会議中のIBSスコアが低い。やる気がないのではないか?」という人事評価が行われる恐れ。IBSはあくまで「関係性」の指標であり、個人の能力や意欲のみに還元されるべきではない。
  • 精神的プライバシーの侵害: 脳データには、本人が隠しておきたい感情、精神疾患の兆候、あるいは特定の人への好意や嫌悪といった極めてセンシティブな情報が含まれうる。これらが企業のサーバーに蓄積されることへの懸念は計り知れない。
  • ニューロ差別(Neurodiscrimination): 発達障害(ASD)を持つ人々などは、定型発達者とは異なるIBSパターンを示すことがある 1。これが「コミュニケーション能力の欠如」として不当に差別される根拠になりかねない。

6.2 法規制とガイドライン:コロラド州の先例

こうした懸念に対し、法的な防波堤の構築も始まっている。2024年、米国コロラド州はプライバシー法を改正し、脳波などの「神経データ(Neural Data)」を、指紋やDNAと同様の「機密性の高い個人情報」として保護する法律を制定した 31。

この法律は、企業が神経データを収集する際に、オプトアウト(事後拒否)ではなく、明確なオプトイン(事前同意)を義務付けている。また、データの使用目的を厳格に限定し、雇用差別への利用を禁じている。

6.3 「伝わる」ための倫理原則

IBSを健全なKPIとして活用するためには、以下の「ニューロ・エシックス三原則」を遵守する必要がある。

  1. 集団レベルでの運用(Aggregation):個人の脳データを特定・追跡せず、あくまで「チームAのスコア」「会議Bのスコア」として集計されたデータのみを管理指標とする。
  2. エンパワーメント目的への限定:データを管理・監視のためではなく、従業員自身の「気づき」や「ストレスケア」、チームの「成長」のためにフィードバックする。
  3. 透明性と自己決定権:いつ、何のために計測されているかを常に明示し、従業員がいつでも計測を拒否できる権利(デバイスを外す権利)を保障する。

結論:「伝わる」の再定義

本レポートを通じて明らかになったのは、「伝わる」という現象が、単なる情報の移動ではなく、脳と脳がリズムを合わせ、物理的に同期する「共振現象」であるという事実だ。

ベータ波が紡ぐ持続的な関係性、ガンマ波が弾ける瞬間の共感、そしてfNIRSが描き出すチームの熱量。これらはもはや詩的な表現ではなく、データとして扱える現実である。IBSを測定することは、組織の中に流れる目に見えない「信頼」や「熱意」を可視化し、それをエンジニアリングするための第一歩となる。

しかし、その技術は諸刃の剣でもある。我々は、この技術を「管理と監視」のために使うのか、それとも「共感と理解」を深めるために使うのか、その選択を迫られている。ブログ『伝わるを科学する』が提唱すべきは、単なる効率化のツールとしてではなく、人間同士の断絶された孤独な脳を再び繋ぎ合わせ、真の意味での対話を取り戻すための「人間性回復のテクノロジー」としてのIBS活用であろう。

会議室の空気を読む必要はもうない。空気を測り、そしてデザインする時代が来たのだ。

引用文献

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  21. Inter-brain synchrony to delineate the social impairment in autism spectrum disorder: a systematic review on hyperscanning studies – Oxford Academic,  https://academic.oup.com/psyrad/article/doi/10.1093/psyrad/kkaf025/8257567
  22. Ex-Brain: The World’s Smallest and Lightest Brain Activity Measuring Device,  https://fitness-gaming.com/news/health-and-rehab/ex-brain-the-worlds-smallest-and-lightest-brain-activity-measuring-device.html
  23. Self-developing AI service “Happiness Planet FIRA” goes live, promising to transform management discussions : August 26, 2025 – Hitachi Global,  https://www.hitachi.com/New/cnews/month/2025/08/250826.html
  24. “Happiness App” Proved to Improve Vertical, Horizontal, and Diagonal Communication at Workplace, Aiming to Lower Mental Health,  https://www.hitachi.com/New/cnews/month/2022/08/220809.pdf
  25. Inter-brain synchrony in teams predicts collective performance – PMC – NIH,  https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7812618/
  26. Task-related, intrinsic oscillatory and aperiodic neural activity predict performance in naturalistic team-based training scenarios – PMC – PubMed Central,  https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9519541/
  27. By Business Moment – Ex.Brain,  https://exbrain.ai/solutions/by-business-moment/
  28. By Role – Ex.Brain,  https://exbrain.ai/solutions/by-industry-2/
  29. Neurosurveillance in the workplace: do employers have the right to monitor employees’ minds? – Frontiers,  https://www.frontiersin.org/journals/human-dynamics/articles/10.3389/fhumd.2023.1245619/full
  30. Neurosurveillance in the workplace: do employers have the right to monitor employees’ minds? – zora.uzh.ch,  https://www.zora.uzh.ch/server/api/core/bitstreams/4382bb69-86b8-4373-b4d4-6e89b36c6c4e/content
  31. Unlocking Neural Privacy: The Legal and Ethical Frontiers of Neural Data – Cooley,  https://www.cooley.com/news/insight/2025/2025-03-13-unlocking-neural-privacy-the-legal-and-ethical-frontiers-of-neural-data
  32. Neural Data Privacy Regulation: What Laws Exist and What Is Anticipated? | Advisories,  https://www.arnoldporter.com/en/perspectives/advisories/2025/07/neural-data-privacy-regulation

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