1. 序論:ビジネスコミュニケーションにおける「科学的アプローチ」の必要性
1.1 研究の背景と目的
現代のビジネス環境において、プレゼンテーションは単なる情報伝達の手段を超え、組織の意思決定を左右する重要な戦略的ツールとなっている。しかし、多くの現場担当者は「現場レベルでは絶賛された提案が、経営層には全く響かずに否決される」という現象に直面している。この断絶は、プレゼンターの個人的なスキル不足ではなく、組織構造内の力学、役割ごとの認知特性、そして人間本来の心理的バイアスに起因する構造的な問題である。
本報告書は、「プレゼンを科学する」というウェブコラムの運営方針に基づき、直感や経験則に依存しがちなプレゼンテーション技術を、組織行動学、社会心理学、行動経済学、および神経科学(ニューロサイエンス)のエビデンスに基づいて再構築することを目的とする。特に、組織内の購買意思決定プロセス(Organizational Buying Behavior)における各役職者の心理的・政治的力学を解明し、現場担当者、上司(中間管理職)、会社役員、代表者(CEO)という4つの異なるステークホルダーに対する最適化されたアプローチを提案する。
1.2 従来のアプローチの限界と「Buying Center」の複雑性
B2B(企業間取引)や社内稟議における意思決定は、単一の人間によって行われることは稀である。WebsterとWind(1972)によって提唱された「Buying Center(購買センター)」または「Decision Making Unit (DMU)」の概念は、組織の購買行動に関与する複数の役割を定義した 1。
| 役割 (Role) | 定義 (Definition) | プレゼンテーションにおける関心事 |
| User (使用者) | 実際に製品やサービスを使用する現場担当者 | 機能性、操作性、日々の業務負荷軽減 |
| Influencer (インフルエンサー) | 意思決定に影響を与える専門家や評価者 | 技術的スペック、競合優位性、データ |
| Buyer (購買者) | 契約条件や価格交渉を担当する部門 | コスト、契約条件、納期 |
| Decider (決定者) | 最終的な採用可否を決定する権限者 | ROI、戦略的整合性、リスク管理 |
| Gatekeeper (ゲートキーパー) | 情報の流れを制御し、接触を制限する者 | 既存プロセスの維持、情報のフィルタリング |
近年のGartner社の調査によれば、現代のB2B購買チームは平均して5〜16名の多様なメンバーで構成されており、その意思決定プロセスにおいて74%のチームが「不健全な対立(unhealthy conflict)」を経験していることが示されている 4。これは、プレゼンテーションが単なる情報の伝達ではなく、組織内の多様な利害関係者の合意形成(Consensus Building)を促す高度な政治的行為であることを示唆している。
2. 組織内政治と意思決定の力学:エビデンスベースの理論枠組み
2.1 エージェンシー理論と「中間管理職のジレンマ」
プレゼンテーションが失敗する最大の要因の一つに、提案を通す立場にある中間管理職(上司)が、必ずしも会社の利益最大化のために動くとは限らないという「プリンシパル=エージェント問題(Principal-Agent Problem)」が存在する 5。
経済学におけるこの理論は、依頼人(プリンシパル:株主や経営層)と代理人(エージェント:従業員や中間管理職)の間で、情報の非対称性と利害の不一致が生じることを説明する。中間管理職は、経営層への報告において「エージェンシー・コスト」を最小化しようとする心理が働く。
- 経営層の目的: 企業価値の最大化、長期的成長、イノベーション。
- 中間管理職の隠れた動機: 自身のリスク回避、部門内の権力維持、業務負担の軽減、失敗時の責任回避。
したがって、現場担当者が「会社にとってのメリット(ROIや革新性)」をどれだけ熱弁しても、それが中間管理職にとって「自身のリスク(管理コストの増大や失敗時の責任)」として知覚されれば、その提案は上司という「ゲートキーパー」によって握り潰されることになる 7。科学的なプレゼンテーションは、このエージェンシーコストを最小化する構造を持つ必要がある。
2.2 チャレンジャー・セールス・モデルと「モビライザー」の特定
CEB(現Gartner)による大規模な調査に基づく「チャレンジャー・セールス・モデル」は、組織内のステークホルダーを以下の3つのタイプに分類し、誰にアプローチすべきかを科学的に定義している 9。
- トーカー(Talkers / おしゃべり好き):
- 特徴: 友好的で情報はくれるが、組織を動かす政治力や意志を持たない。
- 罠: 多くのプレゼンターは、アクセスが容易で好意的なトーカーに時間を費やし、「手応えがあった」と誤認するが、彼らは社内合意を形成する力がないため、案件は停滞する。
- モビライザー(Mobilizers / 変革者):
- 特徴: 懐疑的で質問が多く、一見攻略が難しい。しかし、組織の現状(Status Quo)に疑問を持ち、変革を推進する意志と能力を持つ。
- 戦略: ハイパフォーマーはモビライザーを早期に特定し、彼らに「組織を変えるための武器(インサイト)」を提供することで間接的に組織を動かす。
- ブロッカー(Blockers / 抵抗勢力):
- 特徴: 変化を嫌い、安定を重視する。提案を意図的に妨害する。
- 戦略: 彼らを説得するのではなく、無力化(Neutralize)するか、回避する戦略が必要となる。
2.3 文化的距離とパワー・ディスタンス信念
国際マーケティング研究における「パワー・ディスタンス信念(PDB: Power Distance Belief)」は、権威に対する受容度を示す指標であるが、これは一企業内の階層構造にも応用可能である 12。
- 高PDB(権威主義的)な環境・個人: 上位者の決定や権威ある情報源(「○○大学の研究」「競合他社○○の導入実績」)を重視する。
- 低PDB(平等主義的)な環境・個人: 合意形成や実務的なコンセンサスを重視する。
文化的な距離(Cultural Distance)と説得アプローチに関する実験研究では、売り手と買い手の心理的距離が遠い場合(例:現場社員とCEO)、権威(Authority)に基づく訴求が効果的であり、距離が近い場合(例:現場社員同士)はコンセンサス(Consensus)に基づく訴求が有効であることが示されている 14。これは、役職が上がるほど、現場からの「心理的距離」が遠くなり、アプローチを「共感」から「権威・ロジック」へシフトさせる必要があることを科学的に裏付けている。
3. 神経科学的見地から見る意思決定者の脳内
3.1 役職と認知的負荷(Cognitive Load)
役職が上がるにつれて、処理すべき情報の量と複雑さは指数関数的に増大する。神経科学の研究によれば、過度なストレスやプレッシャー下では、論理的思考や長期計画を司る「前頭前皮質(Prefrontal Cortex)」の機能が低下し、感情や直感を司る「扁桃体(Amygdala)」や「大脳基底核(Basal Ganglia)」が優位になる傾向がある 15。
これを「扁桃体ハイジャック(Amygdala Hijacking)」と呼び、経営層が時に論理的な詳細説明を拒絶し、感情的あるいは直感的な判断(Gut Feeling)を下す神経生理学的背景となっている。したがって、経営層へのプレゼンテーションでは、前頭前皮質の負荷を下げるための「認知的流暢性(Cognitive Fluency)」が極めて重要となる 17。
3.2 ストーリーテリングの科学的効果
fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いた研究では、単なる事実の羅列よりも、物語(ナラティブ)形式の情報の方が、聞き手の脳の広範囲な領域(感覚野、運動野など)を活性化させることが確認されている。さらに、話し手と聞き手の脳活動が同期する「神経結合(Neural Coupling)」という現象が発生し、情報の定着率と説得力が向上する 18。
特にB2Bの意思決定において、ニューロマーケティングの研究は、論理(ROIやスペック)が意思決定の正当化(Justification)に使われる一方で、実際の購入決定の95%は無意識の感情的プロセスによって駆動されていることを示唆している 20。
4. 役職別アプローチの科学的分析と実践戦略
本セクションでは、4つの主要な役職(担当者、上司、役員、代表者)について、その認知特性、主な関心事(KPI)、および有効なプレゼンテーション構成を詳述する。
4.1 担当者(The User / Evaluator)へのアプローチ
4.1.1 認知特性:機能的詳細と現状維持バイアス
現場担当者は、提案されたソリューションを直接使用する「ユーザー」としての役割を持つ。彼らの脳内での主要な関心事は「業務の遂行」と「痛みの除去」である。
- 機能的固執: 具体的な操作性、スペック、UIの使い勝手に関心を持つ。
- 現状維持バイアス: 新しいツールの導入による学習コストや業務フローの変更を恐れる 22。
4.1.2 科学的戦略:ミラーニューロンと共感
担当者層に対しては、ニューロマーケティングにおける「ミラーニューロン」の働きを意識した共感形成が有効である。相手の日常的な業務課題(Pain Points)を具体的に言語化し、「あなたの苦労を理解している」というシグナルを送ることで、信頼関係(ラポール)を構築する 23。
- 推奨構成(ボトムアップ型):
- 共感(Empathy): 「データの集計に毎週3時間かかっている」など、具体的な痛みに触れる。
- 解決策の具体性(Demonstration): デモや詳細なフロー図を用い、導入後の業務がいかに楽になるかを視覚的に提示する。
- 個人的利得(WIIFM): 業務効率化による残業削減や、スキルアップの機会など、個人の利益(What’s in it for me)を訴求する。
4.1.3 注意点:トーカーの罠の回避
前述の通り、担当者は往にして「トーカー」になりやすい。彼らが提案に賛同しても、決裁権を持たないため、組織的な決定には至らない。担当者を「モビライザー」に変えるためには、彼らに上司を説得するための「ロジック」と「資料」を持たせる(コーチングする)必要がある 11。
4.2 上司・中間管理職(The Boss / Middle Manager)へのアプローチ
4.2.1 認知特性:サンドイッチ構造と損失回避
中間管理職は、組織内で最もストレスフルなポジションにあるとされる。彼らは上層部からのプレッシャーと現場からの突き上げの板挟み(Sandwich Middle Manager)の状態にある 25。
彼らの意思決定基準は、往々にして「成果」よりも「失敗しないこと(Loss Aversion)」に傾く。プロスペクト理論によれば、人間は同額の利得を得る喜びよりも、同額の損失を被る苦痛を約2倍強く感じる 27。中間管理職にとって、新しい提案を通すことは「失敗すれば自分の評価が下がる」というリスクを伴う。
4.2.2 科学的戦略:エージェンシー・コストの低減とリスク管理
上司に対するプレゼンでは、夢やビジョンよりも「安全性」と「説明のしやすさ」が重要となる。彼らは「ゲートキーパー」として、不確実な情報を上層部に通すことを阻止する役割を担っている 7。
- 推奨構成(リスクヘッジ型):
- リスク評価と対策(Risk Mitigation): 導入におけるリスク(コスト、移行期間、トラブル)を先回りして提示し、それに対する具体的な対策(Contingency Plan)を示す。
- 組織的整合性(Alignment): その提案が部門のKPIや既存の方針といかに整合しているかを示す。
- 上層部への「弾丸」の提供: 彼らがさらに上の役員に説明する際にそのまま使える「要約」や「ロジック(Elevator Pitch)」を用意する。これによりエージェンシーコスト(説明の手間)を下げる。
4.3 会社役員・経営幹部(The Executive / C-Suite)へのアプローチ
4.3.1 認知特性:戦略的思考と情報の圧縮
Cレベル(CEO, CFO, CMO等)の幹部は、機能的専門知識よりも、ビジネスセンスや戦略的思考を重視する傾向がある 28。彼らは「製品」ではなく「事業へのインパクト」を見ている。
また、時間的制約が極めて強いため、冗長な説明は即座に彼らの関心を失わせる。彼らの脳は、情報の「要約」と「結論」を渇望している。
4.3.2 科学的戦略:ピラミッド・プリンシプルとフレーミング
マッキンゼーで体系化された「ピラミッド・プリンシプル」は、役員向けプレゼンの黄金律である 29。結論を頂点とし、その下に根拠、さらにその下にデータを配置する構造である。
- 推奨構成(結論先行型):
- Assertion(主張・結論): 「A案を採用すべきです。それにより利益がX%向上します」と冒頭で断言する。
- Arguments(根拠): なぜなら理由は3つある。(1)市場機会、(2)競合優位性、(3)ROI。
- Data(証拠): 詳細なデータは付録(Appendix)に回し、本文では直感的なグラフのみを示す。
また、Gartnerの調査によれば、役員クラスには「個人の関連性」よりも「組織全体の関連性(Buying Group Relevance)」を強調するコンテンツが合意形成を20%向上させることが分かっている 4。
4.4 代表者・CEO(The Representative / Top Decision Maker)へのアプローチ
4.4.1 認知特性:ビジョン、レガシー、信頼
CEOは、企業の最終責任者として、単なる短期的な利益以上のもの、すなわち企業の「ビジョン」、「社会的意義(Purpose)」、そして自身の「レガシー(遺産)」を意識している。
神経科学的見地からは、CEOレベルの意思決定には「直感(Gut Feeling)」が強く関与する。これは島皮質(Insula)などが関与するプロセスで、過去の経験知の集積が瞬時の判断を下すものである 32。彼らは提案者の「信頼性(Ethos)」や「情熱(Pathos)」を、論理(Logos)と同等以上に重視する 33。
4.4.2 科学的戦略:ビジョナリー・ストーリーテリング
CEOを動かすのは、細かい数字の羅列ではなく、その数字が語る「物語」である。
- 推奨構成(ビジョン主導型):
- The “Why” (なぜ今やるのか): 市場の変化、社会的な要請、企業のミッションとの合致。サイモン・シネックのゴールデンサークル理論を応用する。
- 未来の変革(Transformation): この提案が成功した暁には、会社がどう生まれ変わるかという「未来の姿」を視覚的かつ感情的に訴求する。
- 信頼の担保: 実行体制へのコミットメントを示し、「私(達)に任せてください」という覚悟を示す。
5.具体的フレームワーク
ウェブコラム「プレゼンを科学する」の次回シリーズとして、以下の構成案を予定。読者が実践可能な「型」を提供することを重視する。
5.1 シリーズ全体コンセプト
タイトル: 「決裁の壁を突破せよ:脳科学と組織行動学で解き明かす役職別プレゼン攻略術」
コンセプト: プレゼンを「アート(芸術)」ではなく「サイエンス(科学)」として再定義し、相手の脳と組織の力学をハックする技術。
5.2 各回の構成と科学的エビデンスの統合
第1回:なぜ「良い提案」が上司に握り潰されるのか?(中間管理職編)
- ターゲット: 企画を通したい若手・中堅社員
- 核心的問い: 現場で完璧なロジックが、なぜ上司の前では無力化するのか?
- 科学的インサイト:
- プロスペクト理論: 上司は「得られる成果」よりも「失う評価(リスク)」を2倍重く見ている 27。
- エージェンシー・コスト: 上司にとって、あなたの提案を役員に説明するコストは「負債」である 6。
- 実践テクニック:
- 「リスク先出し法」: 冒頭でリスクを提示し、対策済みであることを示すことで、上司の扁桃体(恐怖中枢)を鎮める。
- 「コピー&ペースト報告書」: 上司がそのまま上に転送できるメール文面やスライドをセットで提供する。
第2回:現場の喝采は経営の雑音?(担当者 vs 経営層の断絶編)
- ターゲット: 現場リーダー、PM
- 核心的問い: 現場が喜ぶ機能改善が、なぜ経営層には「些末な問題」とされるのか?
- 科学的インサイト:
- 解釈レベル理論 (Construal Level Theory): 心理的距離が遠い対象(経営層にとっての現場)は抽象的に、近い対象(担当者にとっての現場)は具体的に処理される。
- パワー・ディスタンス信念: 権力格差が大きい場合、現場の「合意」よりも、外部権威(他社事例、専門家の推奨)が有効になる 14。
- 実践テクニック:
- 「翻訳レイヤー」の導入: 機能(Feature)を利益(Benefit)に、さらに経営価値(Value)に変換するスライド構成。
- 「権威借用」: 現場の声(定性データ)に加え、第三者機関のデータ(定量データ)を必ずセットにする。
第3回:C-Suite(役員)を1分で納得させる技術(役員編)
- ターゲット: 部長、事業責任者
- 核心的問い: 忙しい役員に「要するに何?」と言わせないためには?
- 科学的インサイト:
- 認知的負荷理論: 役員のワーキングメモリは枯渇している。情報は減らすほど価値が出る。
- ピラミッド・プリンシプル: 結論から話すことで、脳の予測処理負荷を下げる 29。
- 実践テクニック:
- 「エグゼクティブ・サマリー」の科学: 1枚のスライドに「背景・課題・解決策・ROI・要求事項」を凝縮するフォーマット。
- 「アペンディックス(別紙)戦略」: 本編スライドを5枚以内に絞り、詳細データはすべて別紙に回すことで、「準備の周到さ」と「説明の簡潔さ」を両立させる。
第4回:CEOの「直感」をハックする(代表者編)
- ターゲット: 経営企画、新規事業担当
- 核心的問い: 最終決裁者であるCEOの「鶴の一声」を引き出すには?
- 科学的インサイト:
- ニューロ・カップリング: ストーリーテリングによって、話し手と聞き手の脳を同期させる 19。
- 島皮質と直感: 経験に基づく直感は、論理を超えた確信を生む 32。
- 実践テクニック:
- 「ビジョン・ドリブン・ナラティブ」: 過去(創業の精神)→現在(直面する危機)→未来(提案による変革)という時間軸のストーリーを作る。
- 「パトス(情熱)の注入」: 冷徹な数字の後に、個人的な想いや覚悟を語るパートを意図的に設ける。
特別編:社内政治の力学(総論・まとめ)
- テーマ: 組織内の「見えない壁」を越える
- 科学的インサイト:
- チャレンジャー・モデル: 「いい人(トーカー)」ではなく「面倒な人(モビライザー)」を味方につける 11。
- 合意形成の2.5倍ルール: 購買グループ内の合意形成が高い案件は、質が2.5倍高い 4。
- 実践テクニック:
- 「パワーマップ」の作成: 組織図ではなく、影響力の相関図を描く。
- 「根回し(Nemawashi)」の再評価: 根回しは日本的な悪習ではなく、ゲーム理論における「連立形成(Coalition Building)」として科学的に正しい戦略である 35。
6. 詳細な戦術的考察:失敗ケーススタディと対策
ここでは、具体的によくある失敗パターンに対し、科学的調査に基づいた対策を提示する。
6.1 ケースA:現場の総意をバックに提案したが、役員会で「コストが高い」と一蹴された
- 失敗の要因: 「コンセンサス・アピール」の誤用。
- 科学的分析: 研究 14 によれば、心理的距離(文化的距離)が遠い相手(役員)に対して、下位集団(現場)のコンセンサス(「みんなが欲しがっています」)を訴求することは、効果が薄いどころか逆効果になる場合がある。役員は「現場の甘え」や「近視眼的な要望」と捉えるリスクがある。
- 対策: 現場の総意(Consensus)ではなく、権威(Authority)と外部基準を用いる。「現場が欲しがっている」ではなく、「競合他社A社はすでに導入し、生産性を20%向上させています(権威+データ)」とフレーミングし直す。
6.2 ケースB:上司が「もう少し検討しよう」と言って、提案を塩漬けにする
- 失敗の要因: 現状維持バイアスと損失回避への対策不足。
- 科学的分析: 上司は「決定を遅らせること」が最もリスクの低い選択肢だと誤認している(Omission Bias:不作為バイアス)。
- 対策: 「損失フレーム(Loss Frame)」を活用する 36。
- 提案時:「これを導入すれば来年1000万円の利益が出ます」(利得フレーム)
- 修正後:「今月決定しなければ、我々は毎月100万円の機会損失を出し続けることになります」(損失フレーム)行動経済学的に、人間は利益を得るよりも損失を回避するために迅速に行動する。
6.3 ケースC:プレゼン中に予期せぬ「ブロッカー」が現れ、重箱の隅をつつく質問で場が紛糾した
- 失敗の要因: ステークホルダー分析の欠如と「接種理論」の未適用。
- 科学的分析: チャレンジャー・カスタマーの研究 11 によれば、ブロッカーは変化による既得権益の喪失や業務増大を恐れている。
- 対策:
- 事前特定: パワーマップを作成し、誰がブロッカーになり得るかを予測する。
- 接種理論(Inoculation Theory): プレゼンの中で、ブロッカーが指摘しそうな懸念点(弱点)を自ら先に挙げ、それに対する反論や対策を提示する。「確かに初期導入コストについては懸念されるかと思いますが、これについては〜という対策により、半年で回収可能です」と先手を打つことで、相手の攻撃力を弱める(免疫をつける)。
7. 結論
プレゼンテーションの成否は、スライドのデザイン(Art)よりも、相手の脳内にある意思決定アルゴリズムと組織の力学(Science)を理解し、それに適合した情報を入力できるかにかかっている。
本調査から導き出された結論は以下の通りである。
- 役職による「正解」の逆転: 現場での正解(詳細さ、機能性、共感)は、経営層での不正解(ノイズ、戦術論、感情論)となる。プレゼンターはカメレオンのように、対峙する相手の「脳のモード」に合わせてコンテンツを最適化しなければならない。
- 不合理性の合理化: 中間管理職のリスク回避やCEOの直感重視は、個人のわがままではなく、組織内での役割と脳科学的反応に基づく「合理的な」反応である。これを批判するのではなく、前提としてハックする姿勢が必要である。
- 準備の9割は「政治」: プレゼン本番前のステークホルダー分析(モビライザーの特定)と合意形成(根回し)が、科学的にも成功の鍵を握る。Gartnerのデータが示す通り、不健全な対立を解消し、合意形成を導くことこそがプレゼンターの真の役割である。
引用文献
- Organizational Buying Behavior and Word-of-Mouth – DiVA portal, http://www.diva-portal.org/smash/get/diva2:1027336/FULLTEXT01.pdf
- Consumer and Organizational Buyer Behavior | Research Starters – EBSCO, https://www.ebsco.com/research-starters/business-and-management/consumer-and-organizational-buyer-behavior
- A General Model for Understanding Organizational Buying Behavior – Wharton Faculty Platform, https://faculty.wharton.upenn.edu/wp-content/uploads/2012/04/7215_A_General_Model_for_Understanding.pdf
- Gartner Sales Survey Finds 74% of B2B Buyer Teams Demonstrate …, https://www.gartner.com/en/newsroom/press-releases/2025-05-07-gartner-sales-survey-finds-74-percent-of-b2b-buyer-teams-demonstrate-unhealthy-conflict-during-the-decision-process
- Principal-Agent Problem Causes, Solutions, and Examples Explained – Investopedia, https://www.investopedia.com/terms/p/principal-agent-problem.asp
- Principal–agent problem (agency dilemma) | Research Starters – EBSCO, https://www.ebsco.com/research-starters/economics/principal-agent-problem-agency-dilemma
- 4.2 Buyers and Buying Situations in a B2B Market – Principles of Marketing | OpenStax, https://openstax.org/books/principles-marketing/pages/4-2-buyers-and-buying-situations-in-a-b2b-market
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