デザインを科学する

モノトロピズムとスライドデザイン:ADHD・自閉スペクトラム症の脳に「刺さる」情報設計

ADHDや自閉スペクトラム症の脳特性である「モノトロピズム(単一指向性)」は、特定の関心事に深く没入する強力な「注意のトンネル」を形成します 。しかし、スライド上の過剰な装飾や複雑なレイアウトは、この集中を阻害し、彼らの脳に「認知的クラッシュ(モノトロピック・スプリット)」を引き起こすリスクがあります。本記事では、Shinji Designが提唱する「引き算のデザイン」がいかにして情報のノイズを排除し、脳への負荷を最小化するかを解説します 。認知科学とデザイン工学に基づいたこのアプローチは、ニューロダイバーシティの視点を取り入れた、誰にとっても「伝わる」ユニバーサルデザインの最適解です 。

序章:「伝わる」を科学するということ

ビジネス、教育、そしてあらゆるコミュニケーションの現場において、私たちは常に一つの重大な課題に直面しています。それは、「情報の送信」と「情報の受信」の間にある、深淵なるギャップです。どれほど美辞麗句を並べた経営ビジョンであっても、どれほど緻密に計算された事業戦略であっても、それが受け手の脳に届き、理解され、納得されなければ、それは単なる「ノイズ」に過ぎません 1

特に、現代社会において多様性が叫ばれる中、情報の受け手は均質ではありません。ニューロダイバーシティ(神経多様性)の視点を取り入れることは、もはや企業の社会的責任(CSR)の範疇を超え、組織のパフォーマンスを最大化するための必須要件となっています。本レポートでは、「伝わるを科学する」という哲学のもと、特にADHD(注意欠如・多動症)や自閉スペクトラム症(ASD)の特性を持つ「モノトロピズム(単一指向性)」の脳に焦点を当て、その認知メカニズムに最適化されたスライドデザインと情報設計の手法を解明します。

これは単なる「見やすい資料の作り方」ではありません。認知科学、心理学、そしてデザイン工学を融合させ、相手の脳内にある「認知のトンネル」に情報を最短距離でインストールするための、科学的かつ実践的なアプローチです。


第1章:モノトロピズム仮説 —— 認知の「トンネル」を理解する

1.1 注意のリソース配分と「関心システム」

ニューロダイバーシティの文脈において、自閉スペクトラム症(ASD)やADHDを理解するための最も有力、かつ当事者の感覚に即した理論として注目されているのが「モノトロピズム(Monotropism)」です。この理論は、1990年代にディナ・マレー博士(Dr. Dinah Murray)、ウェン・ローソン博士(Dr. Wenn Lawson)、マイク・レッサー(Mike Lesser)によって提唱されました 2

従来の医学モデルが自閉症を「社会性の欠如」や「行動の障害」として定義してきたのに対し、モノトロピズム仮説はこれを「注意(Attention)の配分戦略の違い」として再定義します。人間の精神的リソース、特に「注意」の総量は有限です。この希少なリソースをどのように配分するかにおいて、人間の脳は大きく二つのタイプに分類されます。

  1. ポリトロピズム(Polytropism – 多方向性):定型発達者に多く見られる傾向です。注意を同時に複数の関心事や刺激に対して広く、浅く配分することができます。周囲の状況をスキャンし、社会的文脈を読み取りながら、話を聞くといった「マルチタスク的」な処理が得意ですが、一つのことに対する没入度は相対的に低くなる傾向があります 2。
  2. モノトロピズム(Monotropism – 単一指向性):自閉スペクトラム症やADHDの特性を持つ人々に顕著な傾向です。限られた数の関心事に対して、全精力を注ぎ込むように注意を集中させます。これにより、強力な「アテンション・トンネル(注意のトンネル)」が形成されます 4。

マレー博士らは、人間の心を「関心システム(Interest System)」としてモデル化しました。モノトロピズムの脳内では、一度関心が喚起されると、その対象以外の一切の刺激がフィルタリングされ、意識から消え去ります。これはカメラのレンズにおいて、絞りを極限まで開放し、被写界深度を極端に浅くした状態に似ています。ピントが合っている一点は驚異的な解像度で見えますが、それ以外は完全にボケて見えなくなるのです。

1.2 アテンション・トンネルとフロー状態

モノトロピズムの最大の特徴であり、最大の強みは「フロー状態」への入りやすさです。アテンション・トンネルに入った当事者は、対象に対して深い思考、鋭い洞察、そして長時間持続する過集中(ハイパーフォーカス)を発揮します。科学、数学、芸術、プログラミングなどの分野において、革新的な成果を生み出す原動力となるのは、このモノトロピズムによる深い没入です 4

ファーガス・マレー(Fergus Murray)の研究によれば、このフロー状態にあるとき、当事者は最高度の幸福感と能力を発揮します。彼らにとって、興味のある対象に没頭することは、単なる趣味や仕事を超え、精神的な安定と自己実現のための生命線とも言えます 4

しかし、この強烈な集中は「諸刃の剣」でもあります。トンネルの中にいる間、脳のリソースのほぼ100%がその一点に投じられているため、トンネルの外にある刺激(誰かに話しかけられる、急な予定変更、予期せぬ騒音など)に対応するための予備リソースが残されていません。ここに、スライドデザインやプレゼンテーションにおける重大なヒントが隠されています。

1.3 モノトロピック・スプリット(Monotropic Split)の悲劇

もし、深く集中しているモノトロピックな脳に対し、複数の異なる情報を同時に処理するよう強制したらどうなるでしょうか。例えば、プレゼンテーションにおいて「話者が早口で喋り」ながら、「スライドには大量の文字が書かれ」、さらに「アニメーションが飛び回っている」ような状況です。

タニャ・アドキン(Tanya Adkin)らの近年の研究は、この状態が引き起こす現象を「モノトロピック・スプリット(Monotropic Split)」と名付けました 4。これは、単一のトンネルに最適化された脳が、無理やり複数のトラックに引き裂かれる状態を指します。

状態ポリトロピックな脳(定型)モノトロピックな脳(ASD/ADHD)
マルチタスク要求多少のストレスを感じつつも、適当に注意を切り替えて処理する。**認知的な断絶(クラッシュ)**が発生する。
反応「わかりにくい資料だな」と不満を感じる。激しい不安、混乱、感覚過負荷(メルトダウン)、あるいはシャットダウン(フリーズ)を引き起こす。
結果情報の理解度が下がる。情報の摂取が不可能になる。心的外傷に近いストレスを受ける。

モノトロピック・スプリットは、単なる「集中力の低下」ではありません。それは、脳の処理能力を超えた負荷によるシステムエラーであり、当事者にとっては身体的な苦痛や極度の疲労(バーンアウト)につながる危険な状態です 7

したがって、我々が目指すべき「刺さる」情報設計とは、このモノトロピック・スプリットを回避し、受け手の脳内に快適で安定した「アテンション・トンネル」を構築してあげることに他なりません。


第2章:認知負荷理論と「引き算」の科学

モノトロピズムの概念を情報設計に落とし込むための架け橋となるのが、ジョン・スウェラー(John Sweller)が提唱した「認知負荷理論(Cognitive Load Theory: CLT)」と、それを実践的なデザイン哲学へと昇華させた「引き算のデザイン」です。

2.1 ワーキングメモリのボトルネック

認知負荷理論は、人間の学習や情報処理において、ワーキングメモリ(作業記憶)の容量がいかに限定的であるかを説きます 9。ワーキングメモリは、情報が長期記憶に定着する前の一時的な保管場所であり、一度に処理できる情報の塊(チャンク)はごくわずか(一般に3〜5個程度)と言われています。

スウェラーは、認知負荷を以下の3種類に分類しました 10

  1. 課題内在性負荷(Intrinsic Load):学習内容そのものの難易度。量子力学はトーストの焼き方よりも本質的に負荷が高い。これは変えることが難しい。
  2. 学習関連負荷(Germane Load):情報の理解やスキーマ形成(知識の構造化)に使われる「良い」負荷。
  3. 課題外在性負荷(Extraneous Load):情報の「提示方法」によって生じる無駄な負荷。読みにくいフォント、整理されていないレイアウト、無意味な装飾などがこれに当たります。

モノトロピズムの脳にとって、この「課題外在性負荷」は致命的です。定型発達者は、ノイズ(外在性負荷)をある程度フィルタリングしながら本質(内在性負荷)にアクセスできますが、モノトロピックな脳は「全てか無か」の傾向があるため、外在性負荷が高まった瞬間にトンネルが崩壊し、思考停止に陥ります 11

2.2 シン・デザイン(Shinji Design)の哲学:「1/20秒」の勝負

この認知科学的知見を、ビジネスの現場における「デザイン」として体系化しているのが「Shinji Design」のアプローチです。彼らは、単に情報を「伝える(Transmit)」のではなく、相手の脳内で意味が形成され、行動変容が起きる「伝わる(Convey / Resonate)」状態を目指しています 1

彼らが提唱する「引き算のデザイン」の根底には、以下の冷徹な事実があります。

  • 1/20秒の判断: 人間は提示された視覚情報を、わずか0.05秒(1/20秒)で「見る価値があるか」「自分に関係があるか」を判断します 1
  • 複雑性の拒絶: 脳はエネルギー消費を抑えるため、複雑に見えるものを本能的に無視(スルー)しようとします。

特にADHDの脳は、新しい刺激に対する「報酬系」の反応が特異であり、興味を惹かないもの、あるいは処理に手間がかかりそうなものに対しては、即座にドーパミンの供給を断ち、注意を逸らしてしまいます 12

したがって、スライドデザインにおいては、「ノイズ」となり得る要素(不要な色、線、装飾、文字)を極限まで削ぎ落とし、情報の「エッセンス」だけを残す必要があります。これにより、受け手の脳に情報を「最短距離」で到達させるのです。これは美学の問題ではなく、情報の到達率を高めるためのエンジニアリングです 1

2.3 ADHDと「キネティック認知スタイル」

ここで、ADHD特有の認知スタイルについても触れておく必要があります。ファーガス・マレーらは、ADHDを「キネティック認知スタイル(Kinetic Cognitive Style: KCS)」として捉える視点を提案しています 12

  • ASDのモノトロピズム: 一度入ったトンネルに留まり続けようとする(慣性が強い)。切り替えが苦手。
  • ADHDのモノトロピズム: 興味の対象(トンネル)を求めて常に探索しているが、トンネルが不安定で移ろいやすい。

この違いはあれど、共通しているのは「興味(Interest)駆動型」であるという点です。ADHDの脳に対しては、スライドが「瞬時に」意味を伝え、興味を持続させる仕掛けが必要です。情報が多すぎて「どこを見ればいいかわからない」状態は、ADHDの脳にとって最も苦痛であり、即座に離脱(Distraction)を引き起こします 14


第3章:視覚工学の実践 —— 色彩と光の制御

ここからは、具体的なスライド作成における「視覚工学」のパラメータを解説します。まずは、最も原始的な刺激である「色」と「光」についてです。

3.1 感覚過敏と「視覚的ノイズ」

自閉スペクトラム症の約90%が、何らかの感覚処理の違い(感覚過敏または鈍麻)を持っていると報告されています 16。視覚においては、特定の波長の光や、コントラストの強さが物理的な苦痛や気分の悪さを引き起こすことがあります。これを「視覚的ストレス」や「アーレン症候群(Irlen Syndrome)」と関連付けて議論することもあります。

3.1.1 真っ白な背景の危険性

プレゼンテーションソフトのデフォルト設定である「真っ白な背景(#FFFFFF)に真っ黒な文字(#000000)」は、多くのニューロダイバーシティ当事者にとって「攻撃的」な配色です。

高輝度の白背景は、モニターからの光量が強く、ハレーション(光の滲み)を引き起こします。これにより、文字が背景に溶け込んで読みにくくなったり、逆に文字が振動して見える(Visual Vibration)現象が起きたりします 18。

3.1.2 推奨される「感覚に優しい」カラーパレット

研究と実践知に基づき、以下のカラー設計が推奨されます。

  • 背景色(ベースカラー): 純粋な白ではなく、少しトーンを落とした「オフホワイト」「クリーム色」「淡いブルーグレー」を使用します。
    • 例: クリーム (#FAFAEB), ペールブルー (#F0F8FF)
    • これにより、画面全体の輝度を下げ、目の疲労と感覚的刺激を軽減します 19
  • 文字色: 純粋な黒(#000000)ではなく、「ダークグレー」や「ダークネイビー」を使用します。
    • 例: チャコールグレー (#333333), ミッドナイトブルー (#212962)
    • コントラスト比は確保しつつ(WCAG基準で4.5:1以上)、刺激の強すぎる「白黒の明滅」を避けます 15
  • アクセントカラー: ビビッドな原色(真っ赤、蛍光色の緑)は避け、彩度を少し落とした「アースカラー」や「パステル調」を用います。
    • 例: マスタードイエロー (#F6BB00), セージグリーン (#3BB150), 落ち着いた赤 (#A52228) 21

3.2 カラーユニバーサルデザイン(CUD)の日本的文脈

日本においては、NPO法人カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO)などが推進する「色覚バリアフリー」の観点も不可欠です。日本人男性の約20人に1人は色覚特性(色弱など)を持っているとされ、これは決してマイノリティではありません 23

モノトロピックな脳は細部の差異に敏感である一方、情報の統合にリソースを使います。「色だけで情報を区別させる」デザイン(例:折れ線グラフで色だけ変える)は、色覚特性を持つ人だけでなく、情報の意味を解読しようとする全ての脳に対して「外在性負荷」を与えます。

「伝わる」ためのルール:

  • 色に頼らない。形(マーカーの形状)や線種(実線・点線)を併用する。
  • 凡例(凡例枠)をグラフの遠くに置かず、データの直近にラベルを配置する(ダイレクトラベリング)。これにより、視線を行き来させる負荷を減らせます 23

第4章:文字情報のエンジニアリング —— フォントと可読性

スライドにおける「文字」は、単なるテキストデータではなく、脳へのインターフェースです。特に日本語環境においては、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットが混在するため、欧米以上にフォント選びとレイアウトが認知負荷に直結します。

4.1 ゴシック体とUDフォントの絶対性

アクセシビリティの観点から、プレゼンテーションにおけるフォントは「サンセリフ体(ゴシック体)」一択です。明朝体(セリフ体)に見られる「うろこ」や細い横線は、視覚的なノイズとなり、特にディスレクシア(読み書き障害)の傾向がある人々にとって文字の判別を困難にします 18

4.1.1 UDフォント(ユニバーサルデザインフォント)の科学的優位性

日本においては、モリサワなどが開発した**UDフォント(例:BIZ UDゴシック)**の使用が強く推奨されます。慶應義塾大学の中野泰志教授らによる研究では、UDフォントが弱視者だけでなく、晴眼者にとっても「読みやすさ(Readability)」と「判読性(Legibility)」において有意に優れていることが実証されています 25

  • 特徴: 濁点・半濁点を大きく離して誤読を防ぐ。文字の「ふところ(内側の空間)」を広くとり、文字がつぶれて見えるのを防ぐ。
  • 効果: これにより、文字を「解読」するための脳のリソース(外在性負荷)が減り、その分を「意味の理解」(学習関連負荷)に回すことができます。まさに「刺さる」ための土台です 27

4.2 「やさしい日本語」と情報のチャンク化

デザインだけでなく、言葉選びそのものも「ユニバーサルデザイン」であるべきです。

  • 一文を短く: 複文(〜なので、〜ですが、〜して、)を避け、単文で言い切る。「〜です。しかし〜です。」と接続詞で切ることで、ワーキングメモリへの負担を減らします 28
  • 箇条書きの活用: だらだらとした文章ではなく、情報を構造化して提示します。ただし、スライド一面を箇条書きで埋め尽くすのは逆効果です(後述の「1スライド1メッセージ」参照)。
  • 行間と余白: 行間は文字サイズの1.5倍程度を確保します。行間が詰まっていると、行の移動(トラッキング)に失敗し、同じ行を何度も読んでしまう現象が起きやすくなります 18

第5章:構造設計のエンジニアリング —— アテンション・トンネルの構築

スライドのレイアウトは、視線の誘導路です。モノトロピックな脳に対し、迷いのない一本道のトンネルを用意する必要があります。

5.1 「1スライド・1メッセージ」の生物学的根拠

「1枚のスライドには1つの主張しか入れない」。これはプレゼンの鉄則としてよく語られますが、モノトロピズムの観点からは、これは単なる推奨事項ではなく「生物学的要請」です。

もし1枚のスライドに「現状の課題」と「解決策」と「予算」が同時に書かれていたらどうなるでしょうか。

  • ポリトロピック脳: 全体をざっと見て関係性を把握する。
  • モノトロピック脳: 「課題」に深くフォーカスしようとするが、視野の端に「予算」の数字が見えると、気になってそちらにトンネルが移動するか、あるいは両方の情報が干渉し合ってスプリット(分裂)を起こします。

スライドを分けることは、デジタルの世界ではコストゼロです。情報を空間的に分割するのではなく、時間的に分割(スライド枚数を増やして、めくる)することで、アテンション・トンネルを維持したまま、スムーズに文脈を繋ぐことができます 29

5.2 プログレッシブ・ディスクロージャー(段階的開示)

複雑な図解や長いリストを提示する場合、「プログレッシブ・ディスクロージャー(Progressive Disclosure)」の技術が不可欠です 29。これは、情報を一度に全て見せるのではなく、話の進行に合わせて必要な部分だけを順番に表示させていく手法です。

  • 効果1: 「今、どこを見ればいいか」が明確になり、迷子にならない。
  • 効果2: 「先読み不安」の解消。ASD傾向のある人は、提示された情報を全て処理しないと気が済まない(完結欲求)ことがあり、大量の情報がいきなり出ると「これを全部理解しなければならないのか」と圧倒され(Overwhelm)、フリーズしてしまいます。一段階ずつ見せることで、心理的安全性を保てます 31

5.3 リニア(線形)な視線誘導

ウェブデザインでは「Z型」や「F型」の視線移動が語られますが、「刺さる」スライドにおいては**「完全なリニア(線形)」**が理想です。左から右へ、上から下へ、論理が一直線に流れるように配置します。

視線があっちこっちに飛ぶレイアウトは、ADHDの脳にとって「気が散る」最大の要因です。矢印や番号(①→②→③)を使って、視覚的に順序を強制することで、認知的な迷子を防ぎます 15。


第6章:時間軸のデザイン —— モーションと「間」の科学

プレゼンテーションは静止画ではなく、時間の経過とともに展開する体験です。スライドとスライドの「間」、そして動き(アニメーション)の使い方が、モノトロピックな脳の没入感を左右します。

6.1 「画面切り替え(変形)」の魔法:オブジェクトの永続性

PowerPointの「変形(Morph)」やKeynoteの「マジックムーブ」は、単なる派手な演出ではありません。これは「オブジェクトの永続性」を脳に認識させるための強力な認知科学的ツールです 32

通常のスライド切り替え(カットやフェード)では、前のスライドの「円グラフ」が消え、次のスライドで「棒グラフ」が現れます。脳は一瞬、「これはさっきと同じデータなのか? 新しい話題なのか?」を再計算する必要があります。

しかし、「変形」トランジションを使うと、円グラフがグニュッと形を変えて棒グラフになります。

  • 認知への作用: 「あ、さっきのデータが形を変えたんだな」と直感的に理解できます。つまり、文脈が切断されず、アテンション・トンネルが維持されたまま次の情報へ移行できるのです。
  • ズーミング: 全体図から詳細図へズームインする動きも、モノトロピズムの「深堀り」する特性と完全にシンクロし、心地よいフロー状態を誘発します 34

6.2 「キネティック」の功罪:ADHDへの刺激とASDへの攻撃

動きのある文字(キネティック・タイポグラフィ)やアニメーションは、諸刃の剣です。

  • ADHDに対して: 適切な動きは、注意を引きつけ続ける「フック」になります。静止画が続くと退屈で死にそうになる脳に対し、変化を与えることで覚醒レベルを維持できます 13
  • ASD/感覚過敏に対して: 過剰な動き、特に点滅(フリッカー)や、予測不能な方向から飛び出してくるアニメーション(Fly-In)は、前庭感覚(バランス感覚)を刺激し、「画面酔い」やめまい、最悪の場合はてんかん発作のような不調を引き起こすリスクがあります 36

最適解:

「装飾のためのアニメーション」は全廃する。代わりに、「意味を説明するためのモーション」(グラフが伸びる、プロセスが進む、変形する)のみを、滑らかに(Smoothに)使用する。これにより、ADHDの求心力を満たしつつ、ASDへの攻撃性を排除できます。


第7章:実践的ケーススタディとチェックリスト

理論を現場で使える技術に落とし込むための、具体的なチェックリストを提示します。これは「Shinji Design」の哲学とニューロダイバーシティの知見を融合させた「伝わる組織」のための品質基準です。

7.1 「刺さる」スライドのための5つのフィルタ

スライドを作成した後、以下の5つのフィルタを通して「引き算」を行ってください。

  1. ノイズ・フィルタ(視覚的静寂)
    • 背景は真っ白ではないか?(→クリーム/オフホワイトへ)
    • 意味のないクリップアート、会社のロゴが全ページに入っていないか?(→削除)
    • フォントはUDゴシックか?
  2. シングル・タスク・フィルタ(構造化)
    • 1枚のスライドで言いたいことは1つに絞られているか?
    • 「読んでから聞く」ことを強要していないか?(文字量は最小限に)
  3. リニア・フロー・フィルタ(視線誘導)
    • 見る順番が番号や矢印で明示されているか?
    • 話の展開に合わせて、情報が段階的に表示されるか?
  4. エンパシー・フィルタ(言語化)
    • 専門用語(ジャーゴン)が多用されていないか?
    • 「やさしい日本語」で短く言い切っているか?
    • 話している言葉と、スライドのキーワードは一致しているか?(一致していないと、聴覚と視覚でスプリットが起きる 15)。
  5. セーフティ・フィルタ(感覚保護)
    • 急な大音量や、点滅する映像が含まれていないか?
    • 画面切り替えは滑らかか?

7.2 プレゼンテーション環境の「空気」を変える

スライドそのものだけでなく、それを投影する環境も重要です。Shinji Designは「空気を変える」ことから始めると説きます 1

  • 照明: 部屋を真っ暗にしてスクリーンだけを明るくすると、コントラストが強すぎて感覚過敏の人には辛い場合があります。適度な環境光を残す。
  • 資料配布: 日本企業でありがちな「スライドを手元資料として配る」文化は、プレゼンの効果を激減させます。聴衆は手元の資料を「読む」ことに集中し(読書トンネル)、話者の声をノイズとして処理してしまうからです。
    • 解決策: 「プレゼン用スライド(ビジュアル重視)」と「配布用資料(ドキュメント)」を分ける。これが究極の親切設計です。

結論:ニューロインクルーシブ・デザインは「最強のユニバーサルデザイン」である

本レポートを通じて浮き彫りになった事実は、一つです。**「ADHDや自閉スペクトラム症の脳に優しいデザインは、定型発達の脳にとっても極めて快適で、分かりやすい」**ということです。

モノトロピックな脳は、情報のノイズや不整合に対して極めて敏感なセンサーを持っています。彼らが「辛い」「分かりにくい」と感じるスライドは、定型発達者にとっても(無意識のうちに)高い認知負荷を強いている「質の低いスライド」なのです。彼らを「炭鉱のカナリア」として捉え、彼らにとって最適な情報設計を追求することは、結果として組織全体のコミュニケーションコストを劇的に下げ、意思決定のスピードと質を向上させます。

「伝わる」を科学する旅は、人間の脳の多様性を理解し、尊重することから始まります。アテンション・トンネルの入り口を丁寧に整え、そこへ滑らかに情報を流し込む技術。それこそが、これからの時代に求められる真のプレゼンテーション・スキルなのです。


付録:用語集・参照概念

  • モノトロピズム (Monotropism): 注意のリソースを少数の関心事に集中させる認知スタイル。ASD/ADHDの中心的特性とされる。
  • ポリトロピズム (Polytropism): 注意を多方向に分散させる認知スタイル。定型発達者に多い。
  • アテンション・トンネル (Attention Tunnel): モノトロピズムにおける深い集中の状態。
  • モノトロピック・スプリット (Monotropic Split): 注意を強制的に分割されることで生じる認知的断絶や苦痛。
  • 認知負荷理論 (CLT): ワーキングメモリの限界に基づき、学習効率を最適化する理論。
  • UDフォント (Universal Design Font): 誰にとっても見やすく、読み間違えにくいように設計されたフォント。
  • フロー状態 (Flow State): 何かに深く没頭し、精神的に満たされた状態。モノトロピズムの強み。
  • アーレン症候群 (Irlen Syndrome): 視覚的な光の感受性が高く、文字が歪んだり光って見えたりする知覚過敏の一種。

引用文献

  1. 伸滋Design,  https://shinji.design/
  2. What is monotropism? Understanding a neuroaffirming theory of autism,  https://www.autism.org.uk/advice-and-guidance/professional-practice/what-is-monotropism
  3. Monotropism – Wikipedia,  https://en.wikipedia.org/wiki/Monotropism
  4. Monotropism: Understanding Autistic Ways of Being Through the Lens of Attention,  https://reframingautism.org.au/monotropism-understanding-autistic-ways-of-being-through-the-lens-of-attention/
  5. What is monotropism? – Autism Awareness Centre,  https://autismawarenesscentre.com/what-is-monotropism/
  6. Monotropism and Wellbeing,  https://monotropism.org/wellbeing/
  7. Monotropic Split and Mental Health – Emergent Divergence,  https://emergentdivergence.com/2025/01/22/monotropic-split-and-mental-health/
  8. Monotropic Split – Stimpunks Foundation,  https://stimpunks.org/glossary/monotropic-split/
  9. What Is Cognitive Load Theory? Instructional Design and the Busy Mind,  https://www.articulate.com/blog/cognitive-load-theory/
  10. Cognitive Load in Presentations Tips to Engage and Inform,  https://www.crappypresentations.com/presentation-tips-and-tricks/cognitive-load
  11. Managing cognitive load optimises learning | Australian Education Research Organisation,  https://www.edresearch.edu.au/summaries-explainers/explainers/managing-cognitive-load-optimises-learning
  12. ADHD and Monotropism,  https://monotropism.org/adhd/
  13. Best fonts and text layouts for ADHD – Iubenda,  https://www.iubenda.com/en/help/184233-adhd-font
  14. ADHD-Friendly Web Design: Minimizing Distractions – Bureau of Internet Accessibility,  https://www.boia.org/blog/adhd-friendly-web-design-minimizing-distractions
  15. Design for Neurodiverse Learners – ATD (Association for Talent Development),  https://www.td.org/content/td-magazine/design-for-neurodiverse-learners
  16. Illustrative Sensory Overload Examples – Links ABA Therapy,  https://linksaba.com/sensory-overload-autism-examples/
  17. Sensory Overload Autism Examples | Above and Beyond Therapy,  https://www.abtaba.com/blog/sensory-overload-autism-examples
  18. Guide to making information accessible for neurodivergent people – Leeds Autism AIM,  https://leedsautismaim.org.uk/resources/guide-to-making-information-accessible-for-neurodivergent-people/
  19. Colour palette for people with autism.pdf – Ascel,  https://ascel.org.uk/sites/default/files/uploads/public/Colour%20palette%20for%20people%20with%20autism.pdf
  20. Explore color & ASD – DESIGNA11Y,  https://www.design-a11y.com/colors-autism
  21. Autism Color Scheme – Palettes – SchemeColor.com,  https://www.schemecolor.com/autism.php
  22. Autism Color Palette,  https://www.color-hex.com/color-palette/10394
  23. 配色のバリアフリー – 伝わるデザイン,  https://tsutawarudesign.com/universal1.html
  24. What are the best ADHD friendly fonts? – Recite Me,  https://reciteme.com/us/news/adhd-friendly-fonts/
  25. Report on Comparative Research on Legibility and Readability of Morisawa UD Fonts,  https://www.morisawa.co.jp/fonts/udfont/data/UDFontResearchReport_en_2013.pdf
  26. Report on Comparative Research on Legibility and Readability of Morisawa UD Fonts on Digital Devices,  https://www.morisawa.co.jp/fonts/udfont/data/UDFontResearchReport_en_2016.pdf
  27. Morisawa BIZ Universal Design (UD) Japanese fonts added to Google Fonts and Google Workspace – Google Fonts Blog,  https://fonts.googleblog.com/2022/04/morisawa-biz-universal-design-ud.html
  28. プレゼンテーションのダイバーシティ対応を ~多様な人に伝わりやすい話し方・見せ方~,  https://www.dlri.co.jp/files/ld/265282.pdf
  29. The Power of Progressive Disclosure in SaaS User Experience Design,  https://lollypop.design/blog/2025/may/progressive-disclosure/
  30. Improving Site Usability: Design Tactics for Cognitive Disabilities – The A11Y Collective,  https://www.a11y-collective.com/blog/designing-for-cognitive-disabilities/
  31. Using Cognitive Load Theory to improve slideshow presentations – My College,  https://my.chartered.college/impact_article/using-cognitive-load-theory-to-improve-slideshow-presentations/
  32. PowerPoint Morph Transition Explained (With Examples & Tips) – SlideModel,  https://slidemodel.com/morph-transition-in-powerpoint/
  33. 3 Cool Effects You Did NOT Think are Possible in PowerPoint | Morph – YouTube,  https://www.youtube.com/watch?v=nzH4KPz_cIs
  34. Mastering Visual Flow: How Morph Transitions Transform Presentations – PageOn AI,  https://blogs.pageon.ai/mastering-visual-flow-how-morph-transitions-transform-presentations-pageonai
  35. 25 Kinetic Typography Examples (With Storyboard Tips & Real Use Cases) – TodayMade,  https://www.todaymade.com/blog/kinetic-typography-examples
  36. Accessible Presentation Checklist | UMass Office of the President,  https://www.umassp.edu/inclusive-by-design/digital-accessibility-standards-and-resources/create-accessible-documents/accessible-presentation-checklist
  37. Accessibility Do’s and Don’ts – UW CREATE – University of Washington,  https://create.uw.edu/accessibility-dos-and-donts/

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